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大山千枚田の魅力を撮る

千葉県鴨川市にある大山千枚田は、東京から一番近い棚田。約375枚の大小様々な田んぼが、まるで階段のように連なる景観は圧巻。日本の原風景を眺め、幸せ気分を味わってください。

大山千枚田の歴史

大山千枚田の歴史は古く、室町時代頃から始まったともいわれています。江戸時代には徳川家康の時代に年貢米が納められていたという記録もあり、地域の重要な農業拠点でもあったようです。

大山千枚田の歴史
photo by Mr.Soutan

日本で唯一「天水田」の謎

天水田(てんすいでん)とは、水の原水が河川や湧水、ため池などではなく、降ってくる雨水のみを水源として稲作を行う田んぼのことです。

一般的に、棚田は、山の斜面を流れる沢の水や、谷筋に湧き出る湧水、あるいはそれらの水を貯めたため池から水路を引いて水を供給している。これは安定した水の供給が稲作に重要だから。

ところが、大山千枚田は雨水のみを水源とする天水田天水田は大山千枚田が持つかけがえのない価値であり、生態系や景観の保全の面でも重要な意味を持っているといえる。

では、なぜ「日本で唯一」と称されるほど珍しい存在なのか?その理由を掘り下げてみた。

水源となる河川や湧水が極めて少ない

嶺岡山地の比較的標高の高い位置に存在。この立地では、一般的な棚田のように大規模な河川から水路を引くことが難しい。また、水を豊富に供給できる大きな湧水も少ない。そのため、他の水源に頼れない。

②粘土質の土壌(蛇紋岩)の高い保水性

マントルのかけらが水を取り込んで新しい鉱物に変化。それが蛇紋岩。蛇紋岩は、水を含むことで柔らかくなりやすい性質があり、さらに風化すると非常に粘り気の強い粘土質の土壌へと変化する。この土壌は、水を非常に良く保持する能力、即ち保水性がとても高い。

だから、雨水が土壌にしっかりと蓄えられ、天水田として稲作を行うことができる。

棚田の形と規模

大小375枚の田んぼが階段状に連なる大山千枚田は、それぞれの田んぼが雨水を効率的に受け止め、上段の田んぼから下段の田んぼへと順番に水が供給される構造になっている。

雨水が上から下へと順番に流れる仕組み

雨水が上から下へと順番に流れるような仕組み
photo by Mr.Soutan

大山千枚田の背景は嶺岡山地

大山千枚田の背景の山々は、房総半島を東西に走る嶺岡山地。標高はそれほど高くないが、かつては火山活動やプレートの動きによって形成された複雑な地質。大山千枚田の基盤となる蛇紋岩の土壌もこの山地の代表的な特徴です。

嶺岡山地の起伏のある地形と、その斜面に広がる棚田が一体となって作り出された美しい風景

嶺岡山地の起伏のある地形と、その斜面に広がる棚田が一体となって作り出された美しい風景
photo by Mr.Soutan

大山千枚田はいつから?

大山千枚田はその起源が非常に古い

棚田自体は、日本の歴史の中で古くから存在。古墳時代には既に出現していたらしい。棚田という言葉が文字で確認できる最も古い文書は、室町時代(1406年)に作成されて、高野山に現存する。

大山千枚田がいつから存在していたかは不明。しかし、「嶺岡山地に広がる蛇紋岩由来の棚田の起源は室町時代まで遡る」という文書の記述から想像すると、室町時代には既に棚田としての原型が存在していたのではないだろうか。

大山千枚田はその起源が非常に古い
photo by Mr.Soutan

写真術:風景の撮り方

Mr.Soutan:3つの基本構図

① 透視図法
② 黄金比分割
③ 3分割構図

天皇陛下の和歌

平成22年(2010年)9月18日、天皇皇后両陛下(当時)は大山千枚田をご視察。この時、陛下が彼岸花が咲き誇る美しい風景をご覧になり、お詠みになられた和歌。

咲き競ふ 赤き彼岸花 いと美しく 照り映ゆる 郷の棚田に

この和歌は、彼岸花が棚田の畔(あぜ)に沿って競い合うように咲き誇るその赤い色が、里の棚田に美しく照り映えている様子を詠まれたもの。稲穂の緑と彼岸花の赤のコントラスト、そして水面に映る光景などが、日本の原風景として、陛下の心に深く刻まれて、それが優雅な和歌になったともいえる。

岩に刻まれている天皇陛下の和歌

岩に刻まれている天皇陛下の和歌
photo by Mr.Soutan

ご視察の記念石碑

透視図法。下記の写真はまさに3点透視図法。
文字が読みやすい独特な構図。

ご視察の記念石碑
photo by Mr.Soutan

美しき彼岸花

彼岸花の別名は曼珠沙華。天上の花を意味する仏教用語。しかし、一方では、不吉なイメージがある。例えば、「彼岸花は家に持ち込むと火事になる」とか、「彼岸花を摘むと手が腐る」とか、幼い頃に散々聞かされた。それでなんとなく、彼岸花から遠ざかっていたような気がする。こんなにも美しい花なのに。

美しき彼岸花
photo by Mr.Soutan

彼岸花の存在する理由

赤と緑の美しいコントラスト

彼岸花には田んぼを守るという役目がある。
photo by Mr.Soutan

真っ赤な絨毯のような彼岸花

真っ赤に田んぼを縁取る彼岸花
photo by Mr.Soutan

①観光のため

大山千枚田の彼岸花(曼珠沙華)が棚田に咲く光景は、秋の棚田の風物詩。観光客やカメラマンが訪れる最大の目的の一つ。

赤い彼岸花が並んでいる様子を2点透視図法を意識して撮影。奥行き感と躍動感を表現。

観光客やカメラマンを招く彼岸花
photo by Mr.Soutan

②田んぼを維持するため

  • モグラやネズミなどの忌避
    彼岸花の球根には「リコリン」という毒性の強い成分が含まれている。この毒が、モグラやネズミ、イノシシなどの獣が田んぼを荒らすのを防ぐ効果がある。畦(あぜ)道に沿って植えてあるには、これらの動物が田んぼに侵入するのを抑制する目的。
  • 土壌流出の防止(畦の補強)
    彼岸花は根張りがしっかりしているので、畦の土が雨によって流されたり、崩れたりするのを防ぐ役割も持っている。急斜面に作られた棚田の畦は特に崩れやすいため、植物の根で補強することはとても大切。
  • 目印・区画表示
    棚田のように細かく区画された場所では、昔は田んぼの境界線を示す目印としても使われていた。

田んぼを守るように畦道に沿って並ぶ

畦道にそって彼岸花が並んでいる
photo by Mr.Soutan

整然と並ぶ田んぼを縁取る

整然と並ぶ田んぼを縁取る
photo by Mr.Soutan

現在における問題点

昭和中期以降の減反政策や農業の担い手不足、高齢化などにより、多くの棚田が耕作放棄される危機に直面。

担い手不足と高齢化

農業に従事する若者が減少。棚田を維持管理する高齢化が急速に進行中。これが棚田の維持管理における最も大きな課題の一つ。

耕作放棄地の増加

担い手不足により、耕作放棄地が増加。耕作放棄は景観の悪化だけでなく、生態系の破壊や土砂災害のリスクを高める。

維持管理の労力とコスト

棚田は傾斜地にあり、一枚一枚が小さい。そのため、機械化が難しく、手作業での維持管理に多大な労力とコストがかかる。

維持管理の労力とコスト
photo by Mr.Soutan

イノシシなどの獣害

イノシシによる農作物への被害も深刻な問題となっている。

イノシシによる農作物への被害も深刻な問題となっている
photo by Mr.Soutan

解決への道

これらの問題に対し、地元のNPO法人「大山千枚田保存会」や地域住民、都市住民ボランティアなどが連携し、棚田オーナー制度やイベント開催、獣害対策など様々な取り組みを行っている。地元のNPO団体や住民が協力して棚田の保全活動を行っており、都市住民との交流イベントなども活発に実施されている。

秋の収穫祭の案山子コンテスト

都市住民との交流イベント
photo by Mr.Soutan

田んぼを守る赤毛のアン。三分割構図を少し意識して撮影。ピンクの三つ編みヘヤーがかわいい。

下記の彼岸花は黄金分割を意識して撮影。

彼岸花の花言葉は「情熱」「独立」

photo by Mr.Soutan

日本唯一の天水田、そして、稲穂の緑と彼岸花の赤のコントラスト。すっかり魅了されて撮影。いい写真旅ができた。天皇陛下のように和歌を一句とはいかないが、写真を沢山撮ることができた。
構図は透視図法、黄金分割、3分割構図を頭の隅に置き、まず感動してからカメラを向ける。
感動・構図・光。どれも大切な要素です。

Copyright © 2025 took the photos by Mr.Soutan. All Rights Reserved.

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美しい皇居を写真で散歩

歴史的な橋、美しい濠、そして荘厳な建物を写真でご案内

東京駅からスタートして、皇居の豊かな自然と歴史的な建造物を巡る小さな旅を写真とエッセイでお送りします。

東京駅からルートご案内

2024年に美しく蘇った東京駅

2024年:美しく蘇った東京駅
photo by Mr. Soutan

東京駅(丸の内側)からスタート

東京駅(丸の内)からスタート
photo by Mr. Soutan

※東京駅から皇居まで徒歩約15分の道のり

写真術:風景の撮り方

Mr.Soutan:基本構図「透視図法」

① 1点透視図法:画面に消失点が1つ
② 2点透視図法:画面に消失点が2つ
③ 3点透視図法:画面に消失点が3つ

① 1点透視図法:画面に消失点が1つ

消失点が1つだけ画面に存在。そこに向かって線が収束していくように見える構図。真正面から見た道、線路、並木道、奥行きのある建物など。
安定感・静寂感・奥行き感を表現できる。

行幸通り( 1点透視図法)

行幸通り( 1点透視図法で奥行き感)
photo by Mr. Soutan

散策ルートをご案内(写真付)

皇居外苑の桔梗門の前で9時整理券配布、9:30入場、300名定員。(8:30頃までに列に並ぶと入場出来る)

窓明館で約30分ほど説明やトイレなどで過ごし、10時頃から皇居内の参観スタート。

始めに富士見櫓を眺めながら進み、天皇一家が過ごす新宮殿の長和殿を見学。次に二重橋皇居正門伏見櫓を写真をとりながらゆっくり歩き、再び新宮殿を見学。最後に富士見櫓を通り、桔梗門に11時15分に到着、解散。約75分の短い散策でした。

皇居参観スタート

富士見櫓

富士見櫓は、かつて江戸城内で最も高い建物の一つで、その名の通り、かつては富士山を望むことができたと言われています。

富士見櫓
photo by Mr. Soutan

長和殿

一般参賀の時に天皇や皇族がこの長和殿のベランダに立ってご挨拶する。南北163メートル。謁見、記者会見、レセプションなど多目的に活用されている。

長和殿
photo by Mr. Soutan

二重橋

正門にかかる二つの橋が重なって見えることから名付けられた『二重橋』。手前の石造りの橋と奥の鉄製の橋が織りなす風景は、まさに圧巻。東京駅から歩いてきて感動する最初の橋。

二重橋
photo by Mr. Soutan

正門鉄橋より正門石橋を望む

皇居前広場から正門を通って、宮殿に至る濠に二つの橋が架かっている。その正門鉄橋から正門石橋を撮影。高いビルがなかったら富士山が見えただろうと想像してしまった。

正門鉄橋より正門石橋を望む
photo by Mr. Soutan

大手門

城の正面に位置する門。敵を追い詰める方向を示す「追手」という字を使って追手門とも記載する。城を攻められて、立てこもる作戦の時にこの大手門の場所に敵を寄せ付けて先頭を集中させるための場所。実際には一度も使われたことがなかった。

大手門
photo by Mr. Soutan

② 2点透視図法:画面に消失点が2つ

消失点が画面の中に2つ存在。水平方向の線がそれぞれの消失点に向かって収束するように見える構図。建物の角を斜めから見た場合に生じる。
下記の桔梗門は2点透視図法を意識して撮影。
広がりや安定感、さらに躍動感も表現できる。

桔梗門(2点透視図法)

松の緑の中に佇む桔梗門は、通常は出入りできないが、皇居勤労奉仕と一般参観者の通用門として利用されている。

桔梗門(2点透視図法)
photo by Mr. Soutan

③ 3点透視図法:画面に消失点が3つ

消失点が画面の中に3つ存在。水平方向と垂直方向の線がそれぞれの消失点に向かって収束するように構図。
強い遠近感とダイナミックで、インパクトがある表現が可能。建物の高さを強調できる。

伏見櫓( 3点透視図法)

皇居西の丸にそびえる伏見櫓は、かつての城の面影を今に伝える貴重な建造物。二重の屋根がとても美しい。

伏見櫓( 3点透視図法)
photo by Mr. Soutan

天守閣跡

本丸跡には、かつて壮大な天守閣がそびえ立っていた。1657年の明暦の大火で消失。その時、徳川幕府は江戸市街の復興を優先したため、天守閣の再建は断念。以後、現在まで石垣のみが残っている。天守閣建設の声もあるが、財政的な面、歴史的考慮などから再建の実現は難しい。

天守閣跡
photo by Mr. Soutan

本丸跡

1860年に造営された本丸御殿は1863年に焼失。以後、再建されることなく今に至っている。(約260年間の江戸時代に本丸はなんと5回も焼失した)

本丸跡
photo by Mr. Soutan

富士見櫓( 3点透視図法)

江戸城の遺構、富士見櫓は、かつて江戸城内で最も高い建物の一つ。その名の通り、かつては富士山を望むことができたと言われている。もちろん、現在は見えませんが。(残念)

富士見櫓( 3点透視図法)
photo by Mr. Soutan

その他の歴史的な橋

桜田門

正式名称は外桜田門。江戸城の城門の中でも特に大きな桝形門。1961年には国の重要文化財に指定された。
1860年(安政7年)に大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」は有名です。

現在は皇居外苑のランニングコースの起点として大いに盛り上がっています。

桜田門
photo by Mr. Soutan

乾門(いぬいもん)

旧西の丸の裏門に位置する。皇居の北西:乾(いぬい)の方角にあることが名前の由来。明治時代に京都風のデザインで造られた。

春と秋の特定の期間に一般公開され、乾濠や蓮池濠沿いの美しい景色を楽しむことができます。特に桜や紅葉の時期は多くの人が訪れます。

乾門(いぬいもん)
photo by Mr. Soutan

半蔵門

江戸城の西側に位置し、甲州街道に続く重要な門。徳川家康の伊賀越えで功績のあった服部半蔵の屋敷が近くにあったので、この名がついたと言われている。静かで、落ち着いた雰囲気の門。

半蔵門
photo by Mr. Soutan

美しい濠

皇居を囲む堀は、かつての江戸城の名残であり、美しい水面は都会の喧騒を忘れさせてくれます。春には桜が咲き誇り、秋には紅葉が水面に映り込みます。

江戸時代は玉川上水からの供給があった濠が現在は途絶えてしまったため、雨水に頼っているだけ。その結果、水質が悪化。現在、東京都や国は、水環境改善に取り組んでいるという。

大手濠

江戸城の正面である大手門の前に広がる大きな濠。江戸時代は江戸城への重要な水上交通路としての重要な役割を果たしていた。

大手濠
photo by Mr. Soutan

平川濠

江戸城の北側に位置する濠で、平川門に面している。平川門は江戸城の本丸の大奥や天守閣に近い場所に通じていた裏門の一つ。

平川濠
photo by Mr. Soutan

半蔵濠

半蔵門の南側に広がる濠。千鳥ヶ淵と繋がっていて、桜の時期には美しい景観を楽しめる。散策路も歩き易い。

半蔵濠
photo by Mr. Soutan

桔梗濠

桜田門(内桜田門)の前に広がる濠。太田道灌ゆかりの瓦に施された家紋「桔梗」にちなんで名付けられたといわれる。

桔梗濠
photo by Mr. Soutan

濠と堀の違い

★濠は城郭の周りに作られた水堀。水が張られている溝。
★堀は地面を掘って作った溝。水が張られてなくてもOK。

皇居散策の旅での感想

事前に皇居に電話し、一般参観の手続きを尋ねた。
9時整理券配布、9:30入場、300名定員。なので皇居外苑桔梗門の前に8:30頃までに来れば入場出来るとの返答を得た。

当日、8:15分頃現地に到着、8:20分行列に加わる。その時の行列の人数は50名。しかし、9時には皇居外苑に長蛇の列。

予定通り9時に整理券が配布された。圧倒的に外国人が多く日本人は少ない。しかも、整理券を配布する人は、数カ国語の外国語で呼びかけていたため、ここが日本ではないような気分になった。日本人の参加者は少ないため、日本人への対応者はたった1人という寂しさ。ちょっと残念。こんなに素敵な場所なのに。

皇居散策は圧倒的に外国人観光客が多い

皇居はとても素敵な都会のオアシス。その風景を撮影するときに透視図法をちょっとだけ意識して撮ることで、さらに素敵な写真になります。
ぜひ、ご自分で気に入った写真を撮影し、スマホの待ち受け画面にしてください。人生がさらに楽しくなりますよ。

二重橋の前にはいつも観光客がいる

二重橋の前にはいつも観光客がいる
photo by Mr. Soutan

皇居の門や濠、建物は、江戸城の歴史を今に伝える貴重な遺構。そして、皇居周辺の豊かな自然と歴史的な景観を形成している。特に桜や紅葉の季節には、多くの人々が訪れ、その美しさを愛でている。
じっくり探索した後で、また行きたくなる都会の素敵なオアシス。安らぎの場であり、歴史の足跡を想いながら、写真を撮ることは幸せです。

Copyright © 2025 took the photos by Mr.Soutan. All Rights Reserved.

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