東洋一の湧水
静岡県清水町を流れる柿田川は、わずか全長1.2kmという日本一短い一級河川でありながら、その湧水量と水の美しさで「東洋一の湧水」とも称される奇跡の清流。
清らかに澄み切った川面、水底からこんこんと湧き出す様子は、人々の心を強く惹きつける素敵なパワースポットです。
この川が持つ壮大な自然の歴史と、激動の時代を経て現代に蘇った人々の物語を写真と共にお楽しみください。
富士山の命の水が源流
柿田川の水は、どこから来るのでしょうか。そのルーツは遥か彼方、日本の象徴、愛されている富士山にあります。

約8,500年前の富士山の大噴火で流れ出た三島溶岩流は、亀裂や隙間が多い構造をしており、天然の巨大な「ろ過装置」。富士山麓に降った雨や雪解け水がこの溶岩流に染み込み、長い年月をかけて地下を流れていきます。
驚くべきことに、国土交通省の調査では、富士山の水が地中に浸透してから、ここ柿田川に湧き出すまでに26年から28年もの歳月を要しているという分析結果が出ています。
まさに、富士山の長い歴史が育んだ、悠久の命の水なのです。園内の展望台から見下ろす湧き間(ブルーホール)では、その神秘的な水の流れを間近に感じることができます。
湧き間(ブルーホール)

美しさの秘訣
日の光と砂が思わぬ見事な水の色を表現。特に透明度の高い水は赤色を吸収し、残された青が人間の目に輝くように映し出される。
泉頭城の夢:戦国武将たちが魅せられた「水の要衝」
柿田川の湧水地は、かつて泉頭城(いずみがしらじょう)という城の跡地でもあります。戦国時代、この水豊かな地は軍事的な要衝でもありました。
北条氏と武田氏の攻防
城は、小田原を本拠とした後北条氏らの後代の人によって築かれたとされ、甲斐の武田氏の駿河侵攻に備える最前線の城でした。城を囲む深い堀の役割を果たしたのが、柿田川の豊富な湧水を利用した自然の地形だったのです。北条氏は、この水の要塞で武田氏の侵攻に対抗しました。
徳川家康の「幻の隠居城」
戦国時代が終焉を迎え、江戸時代に入ると、この地は天下人・徳川家康をも魅了します。家康は、この清らかで美しい湧水の地に老後の隠居御殿を築くことを計画し、家臣に造営を命じたと言われています。
しかし、その計画は翌年に家康が亡くなったために実現しませんでした。柿田川の地は、もし実現していれば「第二の駿府城」が生まれていたかもしれない、「幻の隠居城」の跡地でもあるのです。

汚染された川を蘇らせた、市民の情熱と愛情
長い平和な時代が過ぎ、昭和に入ると、美しい柿田川にも苦難の時代が訪れます。高度経済成長期には、周辺の工場排水などによって水質が悪化し、一時は「ドブ川」と呼ばれるほど汚れてしまいました。
しかし、このかけがえのない宝を失いたくないという地元住民たちの情熱が、奇跡を起こしました。
工場跡地から公園へ
柿田川湧水群のほとんどは、もともとある工場の私有地でした。湧水保全を願う市民団体は、この工場が移転するのを機に、国や県、町への働きかけを続け、署名活動やトラスト運動を展開します。その結果、工場跡地は公的に買い取られ、1986年に柿田川公園として整備されました。
以来、地元住民が組織した「柿田川湧水保全の会」などが中心となり、清掃活動や自然保護活動が積極的に行われ、柿田川は本来の清らかさを取り戻しました。
柿田川の美しさは、富士山の雄大な自然の力と、それを守り、未来へ繋ごうと行動した人々の強い愛情が生み出した、まさに現代の奇跡なのです。

<終わりに>
歴史と自然が凝縮された柿田川は、散策道も整備され、一年を通して多くのミシマバイカモが水中を彩ります。ぜひ、かつて家康が夢見た「水の都」の景色を、現地でぜひご覧ください。
最後にお時間のある方は、せせらぎをビデオでご覧ください。
旅の途中で偶然に見つけた美しい風景スポット。日本にはまだまだ知られざる秘境があります。これからも写真旅を楽しみながら、ブログを発信続けたいと願ってます。
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