花見川サイクリングロードに秘められた、壮絶すぎる歴史
普段、楽しく散歩している千葉市の花見川河岸。そして、サイクリングで訪れる印旛沼の湖畔。その美しい風景の裏に想像を絶する人々の苦難と、涙なしには語れない壮大な歴史があることを、このブログを通じて、できるだけ多くの人に知って頂きたい。
散歩コース花見川を撮る
花見川とは……
花見川の源流は、八千代市と佐倉市の境にあり、千葉市を経て、東京湾に注ぐ全長約34.5kmの河川。上流が利根川水系に属する為、一級河川に指定されている。そのゆったりとした穏やかな流れは市民の憩いの場として愛されている。
でも、それは近年の姿。実はとんでもない歴史が潜んでいたなんて! 日々の散歩を楽しみながら想像もしなかった。

写真術:河岸風景の撮り方
Mr.Soutan:上手に撮るコツ
①構図の工夫
②水の表現方法
③光と時刻
④安全と環境への配慮
花見川上流:佐倉ふるさと広場
千葉県佐倉市にある佐倉ふるさと広場は、本格的なオランダ風車「リーフデ」がシンボル。この広場は、印旛沼のほとりにある。
実は、印旛沼から流れ出す水は新川となり、それが千葉市に入ると花見川と名前を変えて東京湾へと注ぎ込みます。
①構図の工夫
シンボルのオランダ風車「リーフデ」を真ん中から少し右側に置き、色とりどりのチューリップの流れをそこに集中するような構図。一点透視図法を発展させ、美しさと賑わいのある風景、さらに躍動感をねらった欲張りな表現技法。スッキリした青空が背景作りを応援してくれた。

花見川上流:新川から花見川へ
広場の目の前に広がる水面は、花見川へと続く水系のまさに上流部分。花見川沿いの「花見川サイクリングロード」は、「印旛沼サイクリングロード」へとつながる休憩所の一つ。

河口に向かう花見川
河岸には近代ビルが立ち並ぶ
②水の表現方法
水面といっても海や川、湖と沼、全て異なる。特に川は流れの状態や、川幅が影響する。花見川の場合はとても穏やかで川幅が広い。そのために川面に垂直に反映したビルの影を撮影できた。又、
青空のグラデーションと織り成す美に感銘した。

整備された花見川河岸
近年、水質汚濁防止法などの規制強化、また、河川環境の改善、生物多様性の保全が重視され、自然再生事業や親水公園の整備が実施された結果、この美しい景観が生まれた。

高低差の少ない花見川
見事なまでの水平でなだらかな流れ。
一点透視図法で遠近感がより表現できた。

美しい風景が織り成す河岸
③光と時刻
太陽を正面にとらえて、風景の中に光の演出ができた。シャッターチャンスを生かせるのは、足を使った日頃の努力(散歩)のたまもの!?

花見川河岸は人々の憩いの場所
少年時代は暴れ川の鬼怒川で泳いだが、今の河岸はがっちり柵で囲まれ、立ち入り禁止。ちょっと残念だが、しかたがない。

花見川河口
テトラポットが整然と並ぶ河口
主な橋には、美浜大橋、浪花橋、柏井橋、花見川大橋がある。

花見川から東京湾

検見川浜
④安全と環境への配慮
河岸の写真を撮る際に注意したいことは、足場の安全確保。つい夢中になり、足元がおろそかになるとケガのもと。くれぐれもご注意ください。

湾や河岸の撮影構図でS字型を意識すると遠近感が表現できる。
ヨットハーバー
レンタルヨットなども利用できる設備が整っていて、一般の人が気軽に楽しめる。

花見川サイクリングロードには様々なモニュメントがあり、人々の目を楽しませてくれる。

花見川・印旛沼の奥深い歴史
ここからは、千葉の隠れた物語、印旛沼と花見川の、血と汗と涙の歴史をたどります。ハンカチをご用意ください!

印旛沼から太平洋へ!
日本一の富士山が姿を見せる東京湾

江戸時代以前の印旛沼
千年前の印旛沼周辺地図

印旛沼の自然と脅威
江戸時代以前は、今の穏やかな印旛沼からは想像もつかない暴れ沼。周辺住民を散々苦しめる存在だったという。
その理由は、多くの河川が流れ込み、排水が悪かったこと。
大雨が降れば、たちまち水位が上昇し、畑や家を飲み込む内水氾濫が日常茶飯事。一般的な洪水ならば、翌年以降に肥沃な土地に生まれ変わる。海岸近くなら積もった塩を洗い流してくれるはず。ところが印旛沼の水害は度を越していた。肥沃な土壌をもたらす洪水のメリットをはるかに上回る甚大な被害の連続だった。
利根川東遷事業の影響
この「暴れっぷり」に拍車をかけたのが、江戸の街を守るための大事業、利根川東遷事業。利根川の流路を東へ、現在の銚子方面から太平洋に注ぐように付け替える大規模な工事。江戸時代初期から約60年かけて行われた。
その結果、利根川の流れが印旛沼の近くを通るようになり、洪水時に大量の水が逆流し、被害がさらに拡大。印旛沼周辺の村々は、絶望的なまでに水害の脅威に晒された。
苦難の挑戦 :江戸時代の挫折
この苦境を打開すべく、人々は印旛沼の治水・干拓にチャレンジしたものの、その道はあまりにも遠く、困難の連続だった。
失敗の原因:「ケトウ」の壁
ケトウとは?(化泥という漢字が語源)
泥水と枯れた草の混ぜ物、ゼリーのようなケトウと呼ばれる軟弱地盤。掘っても掘っても、側面の泥が崩れて埋まってしまう。

悪魔の泥
ケトウは見た目ではわからない悪魔の泥。非常に細かな泥や粘土の粒子と、分解が進んでいない植物の繊維が混じり合った、水分をたくさん含んだ地層。
このケトウによる困難な作業で多くの犠牲者を出した歴史がある。天保の堀割工事における庄内藩(現在の山形県)の悲劇。
水野忠邦の命により山形から動員された「郷人足」たちは、最も過酷な標高20mを超える高台「百尺の丘」を人力で掘り進めた。
暑い夏の三か月間、泥と汗にまみれ、過酷な労働と劣悪な環境の中で、過労や疫病によって多くの命が失われた。遠い故郷を思いながら、彼らは千葉の地で倒れていった。
さらに苦難は続き、「百尺の丘」を手作業で切り崩しても、その下には悪魔の「ケトウ」が素知らぬ顔で潜んでいて、またたく間に掘った地盤を埋め尽くしてしまう。
しかも、彼らの努力も虚しく、工事は水野忠邦の失脚で中止となり、多くの人々が無念の帰路についた。死者は約20名。だが、もっと多くの人々が犠牲になったと伝えられている。
昭和の成功の秘訣

戦後の国家的プロジェクト
あきらめない心と文明の進歩
第二次世界大戦後、食料増産と復興という国家的な使命として、印旛沼開発を国営事業として再出発した。
あの悪魔のような「ケトウ」をSCP工法でクリヤー。軟弱地盤に砂杭を造り、地盤改良を行うサンドコンパクションパイル工法。
サンドコンパクションパイル工法とは、 柔らかいケトウの中に、棒状の砂の柱(パイル)を何本も打ち込むことで、地盤の安定性を高め、水を絞り出す効果がある。
さらに、ブルドーザー、巨大なポンプ(排水機場)を導入した結果、1969年(昭和44年)3月に、印旛沼放水路(現在の新川・花見川)はついに完成した。
いまでは、かつての暴れ沼「印旛沼」は、治水・利水、そして干拓による豊かな農地をもたらす恵みの沼へと生まれ変わった。
今、私たちが花見川沿いのサイクリングロードを快適に走り、佐倉ふるさと広場の美しいチューリップ畑を楽しむことができるのは、この壮絶な歴史があったからこそ。
江戸時代の人々の苦難、そして昭和の時代にそれを克服した技術者たちの情熱と、名もなき多くの人々の汗と涙が隠されている印旛沼・花見川の歴史。
私たちの快適な暮らしは、決して当たり前のものではない。先人たちの想像を絶する苦労と犠牲の上に成り立っていることを忘れず、感謝の気持ちを持って、この豊かな自然と共存していくことが大切である。
花見川のサイクリングロードを歩くときに、足元の土地がたどってきた壮大な歴史物語に思いを馳せてみると、いつもの風景が、違った輝きを持って見えるはずです。
佐倉ふるさと広場:風車を主役に黄金比を意識して撮影。

Copyright © 2025 took the photos by Mr.Soutan. All Rights Reserved.
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