
穴が大好きな猫
僕の名前はチッチ
高層マンションの窓から、今日も東京の空を見上げていた。
僕の名前はチッチ。耳がちょこんと折れている、ちょっと変わった猫だ。他の猫たちはピンと立った耳が自慢だけど、僕の耳は、まるで誰かがつまんで折ったみたいに、いつもぺったんこ。

耳折れ猫チッチが一番好きなことは、穴を見つけること。
壁の小さな隙間、植木鉢の影、洗濯機の裏の狭い空間……どこだって、僕にとっては最高の隠れ家だ。
するりと潜り込んで、まるで日向ぼっこみたいに温かい場所を見つけたら、あとはもう夢の中。ぐーたらな昼寝の時間が、僕の一番の幸せだった。
でも、そんな僕にも小さな悩みがあった。僕だけが、みんなと違う。 その気づきは、僕の心に小さな風穴を開けた。
「なぜだろう? 僕の耳は折れ曲がっている」
この耳は僕を特別な存在にしているのだろうか?
僕をみんなとへだてるものなのだろうか?
ケンくんとの出会い
その日から、僕の心の奥で、小さな冒険の種がくすぶりだした。
マンションの小さな穴を巡る日々の中で、チッチは偶然、少年ケンくんと出会います。
ベランダの穴をもぐってみると、そこからケンくんの部屋が見えた。ケンくんは、小学5年生。でも、体がとても小さくて、いつもベッドの上で過ごしている。彼の心臓には、生まれた時から大きな穴が開いているのだ。
ケンくんのお世話をしているのは、ミナおばあちゃん。働きに出ている両親に代わって、いつも優しくケンくんに寄り添っている。世界で一番の味方。でも、ケンくんの心臓の穴をふさぐことはできない。どんなにミナおばあちゃんが達人でも。

クスノキの秘密
ある日のこと、いつものように、チッチがケンくんのベッドの上でぐうたら昼寝をしていると、ケンくんが、ベッド近くの窓から見えるクスノキを指さして、小さな声でつぶやいた。
「あれはなんだろう?」
チッチには、ケンくんの声なら、どんなに小さくても、どんなにぐっすり寝ていても聞こえる。
「……?」
チッチは翌朝早く、クスノキに向かった。
そのクスノキは、高層マンションを建てる時、広すぎる庭の空間を埋めるために、はるか遠い山から移植されたものだった。
すくすくと伸びて、あっという間に、ケンくんの部屋の窓から見えるまでに大きく育ったのだ。だから、ケンくんは毎日、その大きな木を眺めるのが日課だった。
さて、早朝に冒険に向かった先は、クスノキ。高い高いクスノキは、いろいろな穴や出っ張りがあって、それを足場にして、チッチはするするスイスイと登っていった。そして、ケンくんが何かを見つけた、木の幹に空いた小さな穴を発見。
穴に顔を突っ込んで、何かを探すと、なんとそこにいたのは、キラキラと輝く珍しいカブトムシだった。
チッチは、慎重にそのカブトムシを捕まえて、ケンくんにプレゼントした。
ケンくんは、目を丸くして大喜び。その夜、仕事を終えて帰ってきたお父さんに、そのカブトムシを見せて自慢すると、お父さんは、にっこり微笑みながら、語り始めた。
「お父さんも昔、カブトムシを集めていたんだよ。でも、こんなに珍しい種類は見たことがないな。」
久しぶりに楽しい会話が弾み、そこで父親から、意外な提案があった。
「このカブトムシはとても貴重な種類みたいだ。友達に科学者がいるから、話してみるよ」
未来への希望
翌日、お父さんの友人の科学者が、教え子たちをゾロゾロと引き連れて、ケンの部屋にやってきた。
「みんな、とても珍しいカブトムシだから、しっかり見ておきなさい」
科学者はそう言いながら、カブトムシを熱心に観察した。

ケンくんは、そんな状況を静かに見つめながら、科学者に提案した。
「僕ひとりで飼うのでなく、ぜひ、みなさんの研究室で育てて、増やしてください」
科学者は、驚きと喜びの表情で言った。
「君はなんて素晴らしい少年だ! 自分だけのものにしようとせず、みんなのために考えてくれたんだね。君は将来、きっと立派な科学者になれるよ」
そう言い残して、科学者と教え子たちは、カブトムシを大切にカゴに入れて、ぞろぞろと去っていった。
ケンくんは、かたわらで、すやすやと小さないびきまで出して寝ているチッチに、そっと話しかけた。
「ありがとう、チッチ。きみのおかげで、僕の心臓の穴は、まだ治らないけど、未来に夢を持つことができたよ。」
ケンくんはそう言いながら、チッチを優しく撫でた。 その夜、チッチの心の中にも、小さな決意の穴が開いた。
ケンくんの心臓の穴は、僕には治せない。でも、僕の特別な耳と、穴を見つける力があれば、もしかしたら、ケンくんの心を温めてくれる、何かを見つけられるかもしれない。
絵本の中にみつけた!
ケンくんのお世話をしているのは、ミナおばあちゃん。働きに出ている両親に代わり、いつも優しくケンくんに寄り添っている。
「ケンちゃん、今日はどの本がいい?」
ミナおばあちゃんは、ベランダ越しに僕がいるのを確認してから、ケンくんにそう尋ねた。
ケンくんの部屋の大きな本棚には、たくさんの本が並んでいる。絵本から、ちょっと難しい科学の本まで。
ケンくんは、まるで高校生みたいに頭が良くて、おばあちゃんが読んでくれた本は、全部暗記している。
でも、いつも静かに、目を細めた顔で耳を傾けている。 僕は、ケンくんのベッドの足元で、寝たふりをしながら、その声を聞くのが大好きだった。ミナおばあちゃんの声は、とてもおだやかで、本の中の物語が、僕の夢の中にまで入ってくるようだった。
僕が一番好きなのは、スコットランドの古い童話だった。羊飼いが、賢い牧草犬と一緒に、羊の群れをまとめるお話。いつか、僕もあの賢い牧草犬みたいに、誰かの役に立つ存在になりたいな、と密かに憧れていた。
そう思いながらじっとながめていると、その絵の中に、なんと僕みたいな耳折れ猫が穴の中から、顔を出しているではないか!
「あれれ……」
チッチはそれが自分と同じ姿であることに気づきます。
僕と同じ耳折れ猫がいるんだ。
ケンくんがつぶやいた地名「スコットランド」に、チッチの胸は高鳴ります。
チッチは、まだ見ぬ「故郷?」への、憧れを感じ始めました。
その日から、チッチの心の奥で、小さな冒険の種がむくむく芽吹き始めた。
絵本の国、スコットランドへ行こう!
ケンくんが教えてくれた羊飼いの国に行こう!
船底の支配者と救世主
ある日、チッチは、勇気を振り絞ってマンションを飛び出し、東京湾にたどり着きました。そこには、世界中の海を旅する、まるで小さな街のような巨大客船が停泊していました。
チッチは、心臓がドキドキするのを感じながらも、穴への好奇心が勝り、船底へと続く小さな通気口に潜り込みました。 奥には、他のネズミたちとは比べ物にならないほど巨大なボスネズミが、得意げにケーブルの上に乗っかっていました。チッチは、得意の猫パンチで、その大ボスを追い出し、船の電気ケーブルを守り抜きました。

「救世主だ!」船員たちは大喜びで、チッチを「船の救世主」と呼び、チッチの姿を船の旗に描きました。船長さんもチッチの勇気を讃え、チッチに特別な場所を与えてくれました。
女王様との謁見
こうして、チッチは船に乗って、長い海の旅を続けました。そして、ついに船はイギリスに到着。
船長さんは、チッチの功績を女王様に報告することを決めました。
チッチはスコットランドのエジンバラにある、広大なお城へと向かいました。大勢の兵士たちが並ぶ中、チッチは女王様と対面しました。
「あなたが、船を救った、勇敢な猫ですね。その耳は、特別な力の証のようですね」
女王様は優しく微笑み、チッチを晩餐会に招待してくれました。
「チッチ、あなたの勇敢な行いへのご褒美に、何が欲しいですか?」 女王様が尋ねると、チッチは少しも迷いませんでした。
「故郷の、羊飼いの家に行きたいです」
チッチは、スコットランドの牧草犬、そして、自分の家族に会いたいという思いを、静かに伝えたのです。
チッチ、故郷へ行く
女王様はチッチの純粋な願いを聞き入れ、羊飼いの家にいるチッチの兄弟姉妹たちのもとへ送り届けてくれました。

出会い
チッチは、自分と同じように耳が折れた猫たちと出会います。
彼らは、チッチの祖先であるスージーの子孫たちでした。初めて出会う「兄弟姉妹」たちとの再会は、チッチの心に温かい光を灯します。 兄弟姉妹たちに導かれ、チッチは小さな丘の上の牧草地へと向かいます。
そこには、小さな石碑が立っていました。石碑には、たった一言、「SUSIE」と刻まれていました。
「ここが、僕たちみんなのおばあちゃん、スージーの眠る場所なんだよ」
チッチは、その石碑の周りの土に、自分の前足でそっと触れます。すると、心が満たされるような、深い安心感に包まれました。 ここが、僕の故郷。僕がずっと探し求めていた、特別な「穴」があった場所。
プロローグ
物語の最後、チッチは、広い牧場で兄弟姉妹たちと楽しそうに穴を掘っています。
「穴って、ただ隠れるだけじゃないんだね」
チッチは、空を見上げながら思います。
「穴は、新しい世界への入り口になったり、誰かと出会う場所になったり、そして……心の隙間を埋める、温かい場所にもなるんだ。」
タブレット でチッチの動画を見る
遠い日本の高層マンション。ケンくんは、ベッドの上でタブレットを手に取りました。
画面に映し出されているのは、チッチの元気な姿。スコットランドの広大な牧草地で、兄弟姉妹たちと楽しそうに穴を掘ったり、羊を追いかけたりしている動画でした。
この動画は、チッチの冒険を追いかけ、その生き生きとした姿に感動した船長さんが、時々送ってくれるものだったのです。
「チッチ……」
ケンくんは、タブレットをそっと抱きしめました。チッチが遠い場所で、のびのびと、自分らしく生きていること。その姿は、ケンくんの心臓に開いた「大きな穴」を、ほんの少しだけ、温かい光で照らしてくれました。
「ありがとう、チッチ。きみのおかげで、僕も頑張れるよ」
ケンくんは、画面の中のチッチに話しかけました。チッチがくれたカブトムシが、未来への夢を与えてくれたように、チッチの元気な姿は、ケンくんに生きる元気をくれたのです。
今もスコットランドの牧場では、耳折れ猫チッチが、せっせと、そして嬉しそうに穴を掘り続けています。そこには、掘れば掘るほど、温かい思い出と、未来への希望が詰まっているのだから。

おしまい
耳折れネコのチッチの幸せがケンくんの幸せ、そして、ケンくんの幸せは船長さんやミナおばあちゃんの幸せ。幸せは伝染します。世界中に幸せが訪れますように。
チッチは相変わらず、大好きな穴を見つけては突進しています。