幸せの行方とは?
以前、このタイトルのアメリカ映画がありました。たしか、サスペンス的な内容だったと思います。でも、私がこれから述べようとする内容はちょっと違います。私はトルストイの幸せの行方を考えたいと思います。
私がトルストイを知ったのは幼き頃の絵本「イワンのバカ」からです。「イワンのバカ」ですが、子供心に自尊心を持つことの大切さを教えられたような気がしました。しかし、まさか、このトルストイがかのロシアの文豪レフ・トルストイとは。戦争と平和を完読した時には想像すらしませんでした。同じトルストイの甥か親戚かなぐらいの知識でした。

トルストイの著作を全部完読した頃に、父からトルストイに関して教わったことがあります。
「実はトルストイの奥さんは世界三大悪妻と言われているんだ。
トルストイは最晩年に奥さんと喧嘩して家出を決行。しかし、寒さで肺炎になり死んでしまったといわれているんだ」
幼き頃で、父の話は絶対だったため、そこから、詳しくは聞けなくて、トルストイの奥さんは悪妻だったという言葉が私の脳に強烈にインプットされてしまった。
後でよく調べてみると、初期の20年間ぐらいは夫婦の関係はとても良好だったようです。

ではなぜトルストイの晩年は不幸?
トルストイは幸せに関して素晴らしい名言を残しています。
「人が生きる意味は人を幸せにすること」
「他人の不幸の上に自分の幸せを築いてはいけない」
「貧しい人に財産を与えたい」
大金持ちで貴族階級の贅沢な身分から、しかも、老いた身で実行されては奥様はたまったものじゃない。自分の家族よりも他人を幸せにしたいトルストイ。彼の考えはとてもじゃないが理解できないのが良妻賢母の奥様だったのだろう、家族を守るのが彼女の役目だったから。
(でも、このトルストイの考えが次のロシア革命に繋がるのではないかと私は今思う。)
トルストイは人を幸せにしたいと願いながら、奥さんや子供を不幸にしてしまった。奥さんはトルストイの家出の後に、自殺したと伝えられている。
幸せを求めるのは人間として当たり前なのかもしれないが、それがきちんと把握できるかどうかは本人次第。

日本でいえば、戦国時代という日本中が争いの混沌とした時代、日本統一を目指し、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らが必死に努力し、約300年の平和な時代を成し遂げた。この平和な時代を求めたのは、実は民衆。多くの人々が戦いをやめて、平和な暮らしを望んだから、江戸時代が創出できたのだと私は確信する。
あくまで平和の使者としての徳川家康を民衆が要望した。
徳川家康の素晴らしいところは、関ヶ原の戦いが終わり、徳川の時代になった時に、
「戦いばかりの我が人生、やっと平和が訪れたのだから、これからは無学な自分は学問を人生のかなめにする」と言って、多くの知識人から学問を学んだという。
徳川家康の天下統一は民衆の平和への希求?
日本でいえば、戦国時代という日本中が争いの混沌とした時代、日本統一を目指し、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らが必死に努力し、約300年の平和な時代を成し遂げた。この平和な時代を求めたのは、実は民衆。多くの人々が戦いをやめて、平和な暮らしを望んだから、江戸時代が創出できたのだと私は確信する。
あくまで平和の使者としての徳川家康を民衆が要望した。
徳川家康の素晴らしいところは、関ヶ原の戦いが終わり、徳川の時代になった時に、
「戦いばかりの我が人生、やっと平和が訪れたのだから、これからは無学な自分は学問を人生のかなめにする」と言って、多くの知識人から学問を学んだという。
トルストイの思想は確かにすばらしい。でも、やはり文豪。行動力が伴っていなかったのではないだろうか。徳川家康は自分の力で生き抜いてきた。もちろん、織田信長や豊臣秀吉、武田信玄などの生き方から学びながら。机上の空論ではなく、経験から学んできた平和、幸せとは何かではないだろうか。

幸せは一長一短ではつかみきれない課題。
その行方がどんな方向に行くのか?
人生は後ろは理解できても、未来は予測がつかない。
だから、幸せの行方は命が終わるまで見えてはこない。
様々な人々が幸せとは何かを考え、自分の人生を歩んでいく。
その際、周囲の人々の幸せ、表面的な幸せを見て、自分と比べないことが、まさに幸せに生きる極意。
自分流の幸せ。これが私の幸せといえるものこそ最高。
決して、他人と比較しないことが本当の幸せになるはず。
幸せの行方は自分の中にあるものじゃないだろうか?
最後に
「人が生きる意味は人を幸せにすること」
というトルストイの言葉が今の自分に一番強く響きます。
ぜひトルストイの本を読んでくださいね。
山岡荘八の徳川家康全集はこれまで4回完読しています。人生に迷いが生じたときに必ずアドバイスしてくれる素晴らしい著作、絶対お勧めです。