欲望も生きる幸せ
死に至る病とは?
ソクラテスやニーチェの次にキルケゴールを覚えたのは、あまりにハンサムな顔と42歳で亡くなったというその短命がとても印象的だったからです。
「死に至る病」はセーレン・キルケゴールが残した有名な言葉。最初にこの言葉を知った時、死に至る病とは「肺結核」のことで、彼はその病で亡くなったとばかり思っていた。
後で調べてみると、道路で倒れ、病名の記録はないようです。肺炎ではないかという推量もされてはいるが。
キルケゴールは頭は抜群にいい。しかし、性格に難ありだったようです。かなりの内向的な性格で今でいえば、ひきこもり的な生活をしていたようです。しかし、レギーヌという素敵な女性と恋をして、婚約までしました。しかし……

結婚をしない決断
27歳頃に17歳のレギーヌに恋をして、プロポーズをし、さて、結婚というときになり、
「僕には君を幸せにする資格がない。だって、僕は神に呪われた身だから」
と婚約を一年も経たないうちに破棄してしまった。
「呪われた身」とは父親から受け継いだ遺言みたいな言葉。
貧乏で神を信じていた父が思わぬ大成功を収めて大金持ちになってしまった。だから、神に呪われていると父親は信じていた。
どうにも私には理解できないが、デンマークのコペンハーゲンで生まれ育ったキルケゴールは父親の言葉を信じていた。
キルケゴールが生きたのは、日本でいえば、江戸時代末期。その短い42年間でたくさんの著書を残して去った。
私はキリスト教を深く知らない。信者ではないし、キリスト教を深く探究したこともない。そもそも、神の存在を信じていない無神論者だから。
三段階説とは?
そんな私は、キルケゴールが美学的、倫理的、宗教的な三段階説を唱えた内容を、前の二つはなんとか理解しようと努力したが、三つ目の宗教的な分野が理解できなかった。
でも、前回のブログで書いた「宇宙や自然界でのコントロールできないことを神とした」というキルケゴールの考えの一端を知った時に、なんだ私と同じものを頭に抱えていたのだと悟った。
理想主義者で完璧主義、ロマンチストで、皮肉屋だったといわれるキルケゴール。
そんなキルケゴールは社会的な幸福ではなく、個人の視点から幸福を考えるべきだと主張した。
自分が幸せだっだら、それでいいじゃないか。他人から見たら不幸かもしれないが、本人が幸せだと思えば幸せ。それでいいのではないだろうか。
かなりの二枚目ですね。うらやましい!


実存主義の先駆者
その彼の考えは実存主義といわれる先駆け。
しかし、彼は美学的実存、倫理的実存で終わり、宗教的実存まで到達する前に亡くなってしまった。だが、その思想はサルトルなどに受け継がれて、多くの国々に広まっていった。
私の子供時代に父が教えてくれた幸福は、このキルケゴールの実存主義の一端だったのかもしれない。
◆あれとこれ。迷ったときは三つ目を考える。
◆利己主義ではなく個人主義。
◆人に頼らないで自立する生き方が大切。
◆個人の中にこそ真理が存在する。
◆他人がどうのではなく、自分がどうしたいのかが大切。
今回のブログはちょっと難しくなってしまいました。
でも、生まれた場所や環境によって、考え方や価値観が大きく
変わる世の中。何が正しくて、何が悪いのか?
ある日突然、社会の価値観がひっくり返ることもある。
その中で、どう生きていくか?
もちろん長期的な準備は大切だが、今ある目の前のことに、全力で向かい合うことが幸せへの道ではないだろうか?
「いつやるの?」
「今でしょう!」
後でゆっくりではなく、思い立ったらすぐ実行。
でも、そうはいっても、実行する前に少し周囲を見回して、何かリスクがあるかもしれないと注意するのも大切。
幸せ世界一の国
デンマークのコペンハーゲンがキルケゴールの故郷。
今、世界で幸福の国ランキング一位を獲得しているのは、キルケゴールの思想が生きているからだと思った。
外へ領土を増やすのではなく、国内を充実させることが重要。それが、国家の基本方針と政策決定してから今日まで、着実に歩み続けている。
デンマーク人の幸せとは?
一人一人の個人が主体的に自立して生きていくこと。
実際に、デンマークを旅して、それを知ることができた。
実はデンマークに行く前はキルケゴールがデンマーク人とは知らなかった。しかし、コペンハーゲンでキルケゴールに似た顔の男性に度々遭遇した。超ハンサムだと思っていた彼は、実はデンマークでは当たり前の顔だったようです。(www)
「死に至る病」は「この病は死ぬほどのものではない」という深い意味があった。この病とは絶望。死にたいけれど、死ぬこともできない病が絶望。キルケゴールの言葉です。
でも、私は絶望は自分を変えることで乗り越えることができると信じる。人間は不思議な動物。体や脳を動かしていると、なぜか希望や欲望が沸いてくる。
それこそ、絶望を吹き飛ばすことができる。
美味しいものを食べたい。絵を描きたい、音楽を聴きたい。本を読みたい、ゴルフがしたい、旅がしたい、テレビがみたい。
節約節約と欲を制限するのではなく、自分がやりたいことをする。
これこそ、まさにキルケゴールの実存主義。
幸せに生きるのは自分次第。
自分を主役にし、他者に優しくする。
他人を責めない、自分も責めない。
もちろん、反省するのはいいことですが、それは失敗したことに対しての反省であって、自分の価値を疑ってはダメ。
幸せとは
もし自分が生きることへの疑問を持った時に、考えてほしいことがある。
「10センチの深さの土を作るには100年の歳月がかかる」
ということを。
あって当たり前の土。でも、土は人間には作り出せない。その辺の公園や畑の土でさえ、貴重な存在である。
まして、人間は?
歯一本、育てることはできない。人間の指のようなロボットを作り出すのは至難の業。
幸せとは。 生きるとは何かを考えるときに、それだけを思うのではなく、周りの自然を見回してみるとこの世にコントロールできないものが沢山あることに気が付く。
これがキルケゴールが最終的に考えたい、実行したい倫理ではなかったのでは。
幸せとはコントロールできないことを神として敬う。
宗教とはそこに行きつくのではないかと私は思います。
といいながら、ツライことがあると神様仏様と唱え、幸せな時は、自分の力で獲得したものだと誇らしげに思う。
どうかみなさま、そんな私を寛大な心で見守ってください。
人間から欲を取り去ったら、生きる意欲までなくなってしまう。欲しいものは買いましょう!
ぼくはおいしいキャットフードが食べたいよ