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AIイメージでドイツ旅

憧れのドイツ

ノイシュバンシュタイン城の謎


今、美しいクリスマスカードを眺めている。ドイツのDistel夫妻からの大きなカード。ノイシュバンシュタイン城の絵とそこに達筆な文字で書かれている文面。その旅先での写真が添えてある。「謎だらけの城と城主」と大きなタイトルまでついている。ドイツ滞在中にお世話になったご夫妻カールとミナ。家族のように親切にして頂いた。特にミナには掃除の仕方まで教わったほど。

白鳥のいる風景

川面に浮かぶ白鳥に心ひかれる

7歳の時ドイツに恋をした
painting by Distel

絵を描く原点がドイツ

小学一年の入学時、父からの贈り物は世界の国々の写真が掲載された本。見事な装丁でワクワクしながら開くとそこには別世界が存在した。そこでひときわ印象に残ったのが白鳥。白く優雅な羽を川面に反映させ、悠々と泳ぐ白い鳥たち。私が住んでいた近くの川(鬼怒川)では一度も見たことがない。しかも、河岸の建物や橋の美しさ。すっかり心を奪われてしまった。
ドイツに行きたい。そしてドイツの絵を描きたい
それ以来の私の夢、生きる目標になったドイツ。

レンガ造りの古都

ローテンブルクの街並み

ローテンブルクの街並み
painting by Distel

ドイツ南部のバイエルン州にあるこの古き街は日本の平安時代初期頃からの歴史を持つ。30年戦争や世界大戦にも焼けなかったのは、日本の江戸時代のように、長きに渡り、栄枯盛衰のの状況だったことがその理由。世界の潮流から取り残され、静かに暗い街だったから、相手にもされなかったのだろう。
おかげで古き良き時代の姿を残すことができた。災い転じて福となる。
今はドイツ観光になくてはならない価値ある存在になっている。

マルクト広場を中心に花で飾られた清潔感あふれる建物が続いている。ドイツ人は世界一、家を長く、きれいに保つ国民です。

古都バンベルク

バイエルン州にある古都バンベルク
painting by Distel

バンベルクは大学都市であり、ビールのおいしさでは断トツ。バイエルンの真珠とも称される古都。大戦の犠牲にならず、千年の歴史を保っている。

上の絵は、レグニッツ川の中に建つ旧市役所。14世紀の建築でこの建物専門の修復を行う建築家とその場で遭遇した。「素晴らしいですね、ブンダバー」と声をかけると笑顔を返してくれた。

花を愛するドイツ人

ドイツはどこに行っても窓辺を飾る花々を見ることができる。窓辺だけでなく、家々の庭も花盛り。クリスマスの時期になると、朝市には美しい花を並べる沢山のブース。男女問わず、花束を胸いっぱい抱えて、帰宅する人が多い。

花かごに花いっぱい

花かごに花いっぱい
painting by Distel

カフィの庭にも咲き乱れる花々

カフィの庭にも花いっぱい
painting by Distel

教会の存在価値

街のシンボルは教会

マイセン風景

マイセン風景
painting by Distel

ドイツでは宗教改革以後、カトリックとプロテスタントが半々を占めていた。しかし、昨今、キリスト教を信仰するものが減少。私が最初に訪れた頃も既に若い人々は教会に行かないという選択肢を選んでいた。それが最近では、過半数を占めている。

教会が街を見守る

教会が街を静かに見守っている
painting by Distel

ドイツでは建物を無計画に作るのではなく、古き良き建物をリフォームして使う。私が住んでいたアパートは約90年の築年数。それをドイツの友にいうと「新しいわね」と言葉が返ってきた。90年が新しい? 摩訶不思議。
しかし、ある日の午後、震度3の地震があったとき、慌てふためく人々を見て「ああ、そうなんだ」と納得したことがある。
地震や火事がなければ、家は長持ちするはず。木造りだって100年は持つ。災害がなければですが。

その地震の余談ですが、翌日の新聞に「地震で恐怖に襲われた女性が3階の窓から飛び降りて負傷した」と小さな記事が掲載されていた。いかにドイツに地震がないかが分かった瞬間です。

ノイシュバンシュタインの謎二つ

戦争の要塞ではない謎の城

秋のノイシュバンシュタイン城

ノイシュバンシュタイン城
painting by Distel

ノイシュバンシュタイン城とは、ノイは新しい、シュバンシュタインは白鳥。白い白鳥という意味のこの城はバイエルンにある。ルートヴィッヒ2世が借金まみれの末に建築をし、未完成のままであの世に行ってしまった。

謎は二つ。

なぜルートヴィッヒ2世は亡くなったか?
なぜこの城を作ったか?

なぜルートヴィッヒ2世は消えた?

1869年9月に建設開始。日本では明治維新の二年目。版籍奉還や東京遷都が行われた頃。しかし、その莫大な費用のため、当時の内閣との紛争の結果、精神異常者としてベルク城に閉じこめられた。その翌日、自殺か、他殺か、湖畔を散歩中に亡くなってしまった。今では、岸辺に木製の十字架が建てられている。私はその河岸、シュタルンベルク湖畔でボートに乗ったことがある。その時「なぜ亡くなったのだろうか?」を考え続けていた。

★付き添いの医者が命じられて彼と一緒に湖に身を投げたのか?
★幽閉され、自由を奪われて生きる気力が無くなったのか?
★単なるボートの上での事故?
当時のルートヴィッヒ2世は写真で見るような若くてハンサムな男ではなく、太って見る影もなかったのではないかと思う。

ルートヴィッヒ2世はこの世からは消えてしまったが、あの洞窟や空っぽに見えるノイシュバンシュタイン城の中を悠然とさまよっているような気がする。城内の冷たい空気の中を歩いていてそんな心持になった。多分、それは私だけの体験ではないのでは。

なぜこの城を作ったか?

足を伸ばし、鍾乳洞の奥深くまで行き、ルートヴィッヒ2世に思いを馳せた。彼はノイシュバンシュタイン城を戦争のためでなく、あくまで自分の趣味を優先するために築造した。彼が城より熱心に作ったという神秘的な鍾乳洞を散策し、その舞台のような豪華さを見て、確かに戦争目的ではないと確信した。
鍾乳洞を奥深く進むとそこにはまるでオペラを上演できるかのような舞台が築かれ、透明に輝く氷の柱の中で実に神秘的な雰囲気を醸し出していた。これが城よりもルートヴィッヒ2世が作りたかったものだった。ワグナーの曲をここで演奏したかったに違いない。これが彼の本当の目的だったのではないか。
孤独を愛する王のための壮大な空間。彼の見える城は多分永遠に完成しなかっただろう。彼の目的がそこにはなかったから。

城に車は乗りいれることはできず、徒歩か、馬車でいくしかない。だからこそ、排気ガスで汚れ切ったケルン大聖堂と同じ時代の建物にも拘わらず、美しい姿を維持できている。走れば15分で下ることができる。しかも、麓には美味しいランチを提供してくれる店が沢山ある。
皮肉にも世界的な観光スポットになってしまったノイシュバンシュタイン城。正直、ルートヴィッヒ2世のおかげで、世界中から観光客がやってくる。現代人にカジノで費やす人はいても、こんな文化的な無駄遣いができる人はいない。ても、借金はすでにすべて返却できたのではと私は思う。世界からの観光客があれだけ訪れているのだから。

世界遺産に2024年登録

基礎的な部分はコンクリートでできていて、水道まである近代的な城。そのため、世界遺産には長い間、認定されなかったが、2024年にやっと世界遺産に登録された。
ロマンティック街道の終点として、世界の観光スポットとしての価値を認められたのだろう。日本の姫路城とも友好関係を築いている。

小さな礼拝堂

ただ、この城は遠くから見るのにはいいけれど、中は空っぽ。人が住んだ形跡がないから、後から運んだ価値のない展示物だけ。入り口も裏側はベニヤ板で応急措置。
しかし、城の上に昇ると寝室の近くに礼拝堂。それはロイヤルブルーに金の星が輝き、夜空の雰囲気。多分、すべて空っぽでは観光客ががっかりするから、せめて少しは楽しんでという願望がその小さな礼拝堂だったかも。

もし、時間があったなら、麓のホーエンシュヴァンガウ城の内部の見学をお勧め。ルートヴィッヒ2世が幼少期に住んでいたこの城の内部はすべてアートフルで豪華です。

ドイツの教会の今後

ドイツの教会や宗教がどう変化するか?

例えば日本。無宗教といいながら、神社やお寺にお参りする。神も仏も信じないといいながら、いざ災難というと「神様 仏様」と祈ってしまう。それが人間の弱さかもしれない。多分、ドイツ人も教会にはいかないけれど、思想的にキリスト教が根底にあるはず。長い歴史的な遺伝子は体内に必ず残っている。

最後に2025年2月のドイツの総選挙はかなり混迷したようですが、投票率が80%以上という結果。政治に深く関心のある国民性を反映してます。

絵の旅人Ms.Distel(日本語でアザミ)本名は山田みち子。これからもお楽しみに!  

幸せのおすそ分けをしませんか。ぜひあなたの真心を託してプレゼントを楽天市場から。

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幸せを招くAI水彩画

空間の美・花とインテリア

人生を豊かに幸せにするアイテムは花とインテリア。そんな二つを描きました。見るだけであなたを幸せな世界にお誘いします。

旅先のホテルやカナダ、ヨーロッパの友人宅を描きました。
思い出に写真はありません。記憶からイメージして描きました。かなり本物より良くなってしまったかもしれません。
思い出は美化されがち。美しいところ、楽しい思い出のエッセンスだけが残り、それをイメージしました。

生活空間を彩る花

カナダの友人の家のリビング

カナダの友人の家のリビング
painted by Ms.Distel

毎週3回、通いの掃除専門の女性が家中をピカピカにしてました。奥様は彼女の後ろからチェックする係。友人であるご主人はその間、私のバンクーバー市内案内役。楽しい時間でした。

ニュージーランドのホテル

ニュージーランドのホテル
painted by Ms.Distel

朝の光の中で目が覚めました。エリザベス女王も宿泊した部屋。部屋の前には花壇があり、様々な花が咲き誇っていました。

ドイツの友人宅に招かれて

ドイツの友人宅に招かれて
painted by Ms.Distel

マイセン焼きが所狭しと飾られていました。おばあちゃんが愛用していたと話されてました。ピンクのバラが見事でした。

ノルウェーの知人のお宅

ノルウェーの知人のお宅
painted by Ms.Distel

シンプルで美しいインテリア。奥様の趣味だそうです。

視覚的な美:色彩や形

季節や自然の息吹を感じる

ドイツ滞在中に訪問した友人宅

ドイツ滞在中に訪問した友人宅
painted by Ms.Distel

花好きの彼女は庭にもたくさんの花を育てていました。外からの風がレースのカーテンをなびかせていました。

スイスのホテルのフロント

スイスのホテルのフロント
painted by Ms.Distel

レセプションから少し離れた控室の窓辺の花。普通の家の窓辺にも花が沢山飾られて、夏のスイスは国中が丸ごと美しい。

アムステルダムのホテル

アムステルダムのホテル
painted by Ms.Distel

ホテルの入り口から少し入ったところに飾られていました。さすがチュリップの国です。季節を身近に感じました。

個性的な美:素材やデザイン

インテリアは心地よさをもたらす

ハイデルベルクのホテル:朝食タイム

ハイデルベルクのホテル:朝食タイム
painted by Ms.Distel

コーヒーの香りと焼きたてのパン。毎日の朝の日課でした。パンが運ばれてくる間、窓の外を眺める時間は最高でした。

フランスの友人宅の応接間

フランスの友人宅の応接間
painted by Ms.Distel

映画監督までされていた友人の家に招待されて、思わず、素敵と叫んでしまいました。ミルクのたっぷり入ったコーヒーが好きな彼は個性的で好みがはっきりしてました。そんな彼の家ならではの個性的なインテリアでした。(二回結婚されて、二回離婚)

オーストリア人のご主人を持つ友人宅

オーストリアのご主人を持つ友人宅
painted by Ms.Distel

夕食に招かれてお腹を空かして訪問。でも、とても軽い食事でびっくり。いつも朝と晩は軽く、中間のランチはごちそうよと友人は笑顔で答えてくれました。

家族全員がそれぞれの個性を重んじる姿勢に感銘。どの部屋もそれぞれ好みの壁紙を張ったり、何が好きかをはっきりと主張しているインテリアでした。

イギリスの友人宅

イギリスの友人宅
painted by Ms.Distel

おしゃれな部屋は奥様好み。ご主人様は背が高く、190cm以上。とてもやさしい笑顔で私を歓迎してくれました。ご夫婦の大好きな色は青。家中が静かな海の底のようなイメージでした。

自分の居場所

友人のアパートメントは古い外観

外観は古いアパートメント
painted by Ms.Distel

しかし、室内はゴージャス。ワンちゃんたちもゆったり気分。自分の居場所があることはとても大切。築年数150年だそうです。

コーヒータイムでおしゃべり

コーヒータイムでおしゃべり
painted by Ms.Distel

ハイデルベルク大学で席を並べた友人から招待され、楽しい時間を過ごしました。特にアジサイが食卓に飾られているので感激。
「実はアジサイは日本の花よ」と話すと彼女がすごく驚いていました。彼女は子供のころからアジサイが大好きだったそうです。

人生の豊かさとは

衣食住が満たされるだけではない

パリのホテルの朝食:入口の果物籠

パリのホテルの朝食:入口の果物籠
painted by Ms.Distel

ご自由にどうぞとスタッフの方からの声掛け

ホテルの廊下の奥のコーナー

ホテルの廊下の奥のコーナー
painted by Ms.Distel

ベルギーのホテルの片隅で心打たれた飾りつけ。

ドイツの古城で見つけたワンシーン

ドイツの古城で見つけたワンシーン
painted by Ms.Distel

白い花が古城にピッタリ合っていて最高でした。

実はドイツに滞在した時の部屋

実はドイツに滞在した時の部屋
painted by Ms.Distel

小さな丸いテーブルはとても重宝してました。花や果物は朝市で購入。花瓶はホテルのオーナーにお借りしました。

毎朝のパンとコーヒー

毎朝のパンとコーヒー
painted by Ms.Distel

パンは籐のかごいっぱいに盛られていて、花も必ずテーブルに飾られていました。

イメージ作りがAI水彩画の基本

人生の豊かさは花やインテリアなどで美しさや安らぎを得ること。決してお金だけではない。
私にとっての豊かさは自分のイメージを具体的に描くこと。思う通りにはなかなか描けませんが、楽しみながら続けていこうと思ってます。

楽天でお買い物

人生の豊かさは楽天で。こんなものが欲しかったというものをぜひ見つけてくださいね。

🧑🏻‍❤️‍🧑🏼マイセンブルーオニオンスタイル ベース


🧑🏻‍❤️‍🧑🏼おしゃれ カーテン 花柄 ばら


🧑🏻‍❤️‍🧑🏼ウェッジウッド(英国製)ティーカップ&ソーサー


Copyright © 2025 painted by Ms.Distel. All Rights Reserved.

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南米ペルーを描く

マチュピチュ遺跡

インカ文明とマチュピチュ遺跡

15世紀のインカ帝国の遺跡

インカ帝国の遺跡を歩く

「この遺跡は標高約2,430m、3mずつ上がる段々畑が40段、3,000段の階段でつながり、遺跡の面積は約13キロメートルで、石の建物の総数は約200戸あります」
とガイドさんが流ちょうな日本語で説明。ところが、歩くのもやっとという状態の観光客に苦笑いしていた。ほとんどの人が高山病。無口になり、ヨタヨタ歩行。説明は度々中断され、休憩タイムとなった。

スペイン人がはたして、こんなところでインカの人々と戦うことができたのか?
ガイドさんに質問すると、全く異なる回答が返ってきた。
「戦いはなかったんですよ。ただ人々が逃げてきたのですよ」

以前、豊田工場で働いていたというペルー人ガイドさんが見事な日本語で解説された。
「ほとんどが感染病。スペイン人が持ち込んだヨーロッパの病原体が免疫のなかったインカの人々を死に追いやったんですよ」

なるほどと感銘して話を聞いた。武器の差もあったに違いないが感染病とは。納得した。スペイン風邪やコレラ、チフス、天然痘。日本も江戸時代末期、外国人が運んできた感染病が大流行した。あれと同じ状況だったに違いない。

マチュピチュは年老いた峰という現地語。当初、遺跡の名前ではなく背後の山の名前だったといわれる。

マチュピチュ遺跡
painted by Ms. Distel

インカ文明が滅んだ理由

マチュ・ピチュの遺跡は誰が発見した?

マチュ・ピチュの遺跡を発見したのは、ハイラム・ビンガム
ハワイ生まれのアメリカの探検家。1911年にイェール大学ペルー探検隊を組織して、7月24日にマチュ・ピチュの遺跡発見。

この時、地元の人が彼に山の名前を教え、それと遺跡が混同されて、それ以来、遺跡をマチュピチュと呼ぶようになったらしい。正確に言うと、背後の山の名前がマチュピチュ山。

さらに正確を記すと、ビンガムは、発見者ではなく、既に地元では存在が知られていた遺跡を確認して、最初に学術調査をしただけであるともいわれている。

さらにまたマチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担などの理由はまだ明確には分かっていない。

インカの王族や貴族のための別荘。軽井沢みたいな避暑地ではなかったかという説が一番主流ではないかとガイドさん。

そうかな?

半分疑問符をつけながら、マチュピチュ遺跡を歩いていたら、太陽の動きを観測するような建物があった。これはもしかすると、太陽神を祭り、農業などのための太陽を使ったカレンダー作りのための観測場では。

ガイドさんにその話をすると「ふんふん」と聞いて反論はなかった。もしかすると、マチュピチュにはそうした要素があったのではないだろうか。天皇が暦の権限を持っていたことと通じるように思えた。農業には季節や時刻が欠かせない。それをつかさどる人が権力者になれるはず。

歩いていると、コンドルの神殿があった。コンドルはインカのシンボル。「コンドルは飛んでいく」という歌を思い出し、ついハミングをしてしまった。悲しいメロディーでスペイン人に追い払われたインカの人々を想像してしまった。

ピサロの計略にかかり滅亡?

皇帝の死でインカの歴史が終息

スペイン人、フランシスコ・ピサロの策略でインカ皇帝アタワルバは捕まり、処刑された。史実上のインカ帝国の滅亡。

周辺地域はアンデス文明が発達。だが、文字を持たないため、解明されていないたくさんの謎を持つらしい。

皇帝の死でインカの歴史が終息
painted by Ms. Distel

スペインの植民地

スペインの圧政に苦悩

1821年ペルー共和国独立

南米各地に独立の機運が高まり、サン・マルティン将軍の元、独立軍はスペイン王党派を破り、ペルー共和国として独立した。

1821年ペルー共和国独立
painted by Ms. Distel

クスコはへそ?

クスコは標高約3,400m

インカ帝国の首都クスコの繁栄

もともとはキルケ人が支配していた地を1200年頃からインカ人が占拠した。その後インカ帝国の首都として一世紀近く繁栄した。クスコ(Cusco)はケチュア語でへそを意味する言葉。

インカ帝国の首都クスコの繁栄
painted by Ms. Distel

クスコは1983年世界遺産に登録

スペイン人の技術とインカ文明の遺跡が調和された都市、特別な建築様式に文化的な価値があると認定されて、1983年にユネスコ世界遺産に登録された。

その特異な都市の通路のような一角に画廊があり、その中で自称画家の青年と会話。どうしたらいい絵が描けるか?逆に質問されてしまった。
一枚、気に入った絵を購入したら、とても喜ばれた。

クスコのオープン・ギャラリー?

石やレンガ造りの建物を描くときは一枚一枚の境目に光を反射させることで重厚さが表現できる。

クスコのオープン・ギャラリー
painted by Ms. Distel

クスコ市内散策はゆっくりと

斜面の上に街が築かれている

標高3,400mはかなりきつい。富士山は3,776m。普通の人間なら3,000m超えると高山病になってしまう。散策をするときは、とにかくゆっくり歩く。決して走ってはダメ。すぐ頭が痛くなってしまう。一歩一歩、亀のようにのんびり歩こう。

斜面の上に街が築かれている
painted by Ms. Distel

クスコに大地震

インカの石畳は無事!
スペイン人の建てた部分はすべて崩壊

スペイン人がインカを征服してから、スペイン人植民者は数多くのインカ帝国の建造物、寺院、宮殿を破壊した。そして、彼らは破壊で残った壁を、新都市建設の土台として使用した。

だが、1650年、1950年、1986年と大地震が起こった時、インカ時代の石畳の部分は全く無傷。しかし、占領後にその上にスペイン人が築いた新しい部分は見事に崩落した。

インカ時代の石積みは、石と石の間にカミソリの刃一枚通さないと言われるほどだから
ガイドさんが笑顔で説明してくれた。

大地震でもインカの石畳は無事
painted by Ms. Distel

クスコの建物は緻密

インカ帝国を山の奥に追いやって、インカの礎石の上に建物を築いたスペイン人。兵力は強いが、文明としてはインカが上?

インカでは、農業生産、建築技術、道路網、その上、頭蓋骨の外科手術まで完成度が高かったようです。

クスコのその後は、スペイン植民地とキリスト教布教の中心。農業、牧畜、鉱山やスペインとの貿易のおかげで繁栄。
現在はマチュピチュ遺跡への玄関口として有名。特に高山病対策の一つとして、クスコで一泊するといいらしい。

ただし、クスコを散策しながら、なんだか気分が悪くなってきたのを記憶している。美味しいはずの夕食がとてもまずく感じてしまった。高山病が始まっていたのかもしれない。

ちなみにクスコで食べた料理はジャイアントコーン、モラヤ(乾燥ポテト)など、おしゃれなフランス風の盛り付けで実に美味しいはずだった。

余談ですが、ペルーの海岸線は砂漠地帯。こんなに海岸砂漠があることにびっくり。さらに驚くことは、そこで最近、ブルーベリーが生産されて、ペルーの農産物の代表的なものになっているという。砂漠でブルーベリーが生産できる。開発者の努力で奇跡が起こる。世界は常に進み続けているのですね。

ついマチュピチュ遺跡を中心に話題が絞られてしまった。ペルーには他にも地上絵やマリ、見るべきところは沢山ある。
ただ、地上絵を見ようとセスナ機に乗ったものの、パイロットさんの見事な操縦のおかげで乗り物酔いが悪化。地上絵を見るどころではなかった。パイロットさんがいかにハンサムかは覚えているのですが。

楽天でお買い物

南米ペルーはちょっと遠い。楽天で買うことができるジャイアントコーンで我慢してね。また、少し難解かもしれませんが、「100年の孤独」もペルー人の心を理解するのに役立つかもしれません。ぜひご購入くださいね。

💑ジャイアントコーン


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最近人気の「100年の孤独」を読むと、南米の人の心が少し見えてくるように思う。少し難しいけれど、読みだすと止まらない。

💑百年の孤独 (新潮文庫)


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