カテゴリー
blog life photo

関東の百名山:筑波山

七色に変化する筑波山(877m)の姿、見たことがありますか?
かつては万葉集で愛され、徳川家康に深く畏敬された筑波山。そんな筑波山を巡る発見の旅を写真とエッセイでご案内します。

筑波山:発見の旅へ

二つの優美な峰

夫婦和合の象徴である男体山・女体山

筑波山は見る場所や季節で表情が様々に変化する。

歴史ある筑波神社

筑波神社の始まりは神話時代ともいわれ、百人一首に詠まれた恋の歌の舞台にもなっている。また、筑波神社の二神は夫婦神であることから、夫婦円満、家内安全、縁結びの御利益があるとされて、今も多くの参拝者で賑わっている。

歴史ある筑波神社
photo by Mr. Soutan

がまの油売り

ガマの油は、筑波山のガマガエルから採れるとされる民間の薬。その口上芸は現在も伝統芸能として受け継がれ、毎週末のお昼頃に神社の境内で見ることができる。人混みの中から、こんな声が聞こえてくるはず。

ガマの油売り(AI作成イラスト)

さあ~さあ~お立合い!

ご用とお急ぎでなかったらゆっくり聞いておいで
遠目山越えは笠のうち。聞かざる時は、物の出方・善悪・黒白がトーンとわからない

「ガマの油売り口上」は江戸時代に傷薬であるガマの油を売るために永井兵助が考案したとされる大道芸。いまでは、ガマの油は販売されていないが、「ガマの油売り口上」はなんとつくば市の無形民俗文化財として指定され、地域の伝統芸能として受け継がれている。

象徴:ガマ石

ガマに似ている!

ガマ石
photo by Mr. Soutan

筑波山頂

男体山の山頂にイザナギノミコト、女体山の山頂にイザナミノミコトが祭られている。この二柱は日本の国土を創ったとされる夫婦神であり、縁結びや夫婦和合の神様。

女体山の山頂

山頂は岩に囲まれ、広がる下界の眺めは最高。

女体山の山頂
photo by Mr. Soutan

筑波山の成り立ちとは?

筑波山は火山ではない。花崗岩(かこうがん)という岩石から成る。地下のマグマがゆっくりと冷え固まってできた花崗岩が地殻変動で地表に顔を出し、長い風雨の浸食の末、残された部分が山として生き残った。

Mr.Soutanの写真術

1 モチーフ探しの旅を楽しむ

2  風景写真のよりよい構図

3 ブログのための知識収集

筑波山を車で一周

筑波山東側:辻からの眺め

まるで富士山のような三角形に見える。

筑波山東側:かすみがうら市の辻の風景
photo by Mr. Soutan

写真術:モチーフ探しの旅

1 モチーフ探しの旅を楽しむ
事件は現場で起きているんだという刑事のことばではないが、写真は現場に行くことから始まる。
想像では撮影できないのが写真。特に風景写真はそこに行かないと撮れない。だから、まず旅を愛し、楽しむことが写真家の大切な心構えです。

幸せを呼ぶ福寿草

「つくば科学万博」に合わせて開業された花の公園。2021年にリニューアルオープンし、「いばらきフラワーパーク」として親しまれている。フラワードームの中に、バラ・あじさい・牡丹・ダリア他、様々な花が自分の出番を待っている。

幸せを呼ぶ福寿草
photo by Mr. Soutan

ふもと近くは学園都市

平野が広がる田園地帯。でも、実は学園都市でもある。

麓近くは学園都市
photo by Mr. Soutan

近くに東大柿岡研究所や136mの富士山もある。

photo by Mr. Soutan

筑波山北側:石岡市葦穂

きのこ山(528m)や加波山(709m)など連山が続く。

筑波山北側:きのこ山(528m)や加波山(709m)など連山が続く。
photo by Mr. Soutan

歴史秘話:加波山事件

加波山事件は、明治17年(1884年)に加波山で起こった自由民権運動に関連する事件。当時の政府の専制政治に不満を持った一部の青年たちが、政府転覆を計画し挙兵。彼らは警察署などを襲撃したが、参加者が少なく、短期間で鎮圧された。

この事件は、自由民権運動が暴力的な方向に向かい始めたことを示す象徴的な出来事として有名。今でも地元の人々は語り繋いでいる。

先祖伝来の土地を守る

筑波山の麓には瓦屋根の重厚な家が多い。先祖から受け継いだ土地を守り続けている。

先祖伝来の土地を守る
photo by Mr. Soutan

七変化の山

筑波山は「西の富士、東の筑波」と並び称される。

真壁町から見た重厚な筑波山

七変化の山
photo by Mr. Soutan

朝昼晩、そして季節によって色が変化する。

平坦な関東平野の美しき独立峰

筑波山の周囲は関東平野が広がる。あの山は筑波山と誰もが認識できる。それゆえに愛されるのではないだろうか。

写真術:良い構図とは?

風景写真のより良い構図とは、中央に三角形の山のある安定した構図、さらに前景の川や道などで遠近感を表現する。
特に注意することは、地平線を真ん中より上か下にする。くれぐれも「ど真ん中」に配置しない。

真壁から:田園と筑波山

平坦な関東平野の美しき独立峰
photo by Mr. Soutan

日本百名山の一つ

深田久弥が筑波山を日本百名山に選んだ理由は、その標高の高さではない。古くから信仰の対象であり、万葉集や百人一首など多くの文学作品に詠まれてきた。その豊かな歴史と文化が評価されたもの。特に万葉集には沢山の作者不明の作品が残されている。

深い青、優美な山容に心を奪われる。

日本百名山の一つ
photo by Mr. Soutan

写真術:ブログ用に知識収集

3 ブログのための知識収集。
撮影した写真。せっかくです。自分だけで楽しむのではなく多くの人にも見て欲しい。その手段がブログ。写真を撮るだけでなく、その写真の情報、知識を得ることも楽しい。

百人一首と筑波山

「筑波嶺の 峰より落つる 筑波川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」

この歌は百人一首にも選ばれている陽成天皇の作。乱行で17歳で退位した天皇、82歳まで長生きし、素晴らしい和歌を残した陽成上皇。筑波山を実際ご覧になったことはあったのだろうか?などとつい疑問を持ってしまった。

百人一首と筑波山
photo by Mr. Soutan

古今集・東歌

「つくば山 かけて君を ねがひつる 我はもとなの 人をこそ思へ」

筑波山に誓って、あなたを願っている私は、何も知らない人のことを思っているのです。(愛の歌)

宮山からのきりりとした筑波山

古今集・東歌
宮山からのきりりとした筑波山
photo by Mr. Soutan

新古今和歌集(源重之)

「筑波山 端山繁山 しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり」

意味は、筑波山は、麓の山も奥の山も草木が茂っているけれど、恋に思い入るには何のさまたげもないことだ。

作者、源重之は国司として清和源氏の流れを持つ貴族。日本のあちこちに地方官として歴任しながら和歌を作り続けた。筑波山は彼にとって最高のモチーフだったようです。

赤浜からの幽玄な筑波山

新古今和歌集(源重之)
赤浜からの幽玄な筑波山
photo by Mr. Soutan

赤浜付近

見上げる位置によって二つの山の高さが変わる。

男体山の標高は871m、女体山の標高は877m。
女体山がほんの僅か高い。

赤浜付近
photo by Mr. Soutan

作谷からの眺め

筑波山の周囲をぐるり一周。筑波山自身はどっしり構えているにも関わらず、色や山容が変わり、魅了された。

作谷からの眺め
photo by Mr. Soutan

筑波山山頂

下界には広々とした関東平野が広がる

photo by Mr. Soutan

筑波山魅力発見の旅のお誘い

筑波山を車で一周し、平野の中に神様のように鎮座する姿に感銘。そして、長い年月、多くの人々に親しまれてきた歴史と文化。また麓には筑波大学などの学術・文化施設が立ち並ぶ。

地元の人が、「東京がどんどん近づいてきている」と話していたことが心に残っている。
江戸時代に徳川家康が鬼門の方向の筑波山を重要視して、筑波神社に寄付をした歴史から考えても、筑波山の魅力は奥深い。

みなさん、ぜひ筑波山の魅力発見の旅にお出かけください。
筑波山を一周するのもよし、筑波神社でガマの油売りを見るのもよし、山頂まで登って、岩の上でおにぎりを食べるのもよし。

楽しい一日を体験してみてください。

筑波山は見る場所や季節でその表情を変える。万葉の時代から愛された筑波山。過去・現在・未来と時代を超えて生き続けて欲しい。

Copyright © 2026 taken the photos by Mr.Soutan. All Rights Reserved.

楽天でお買い物

筑波山で発見した魅力の後には、楽天でぜひお買い物をお楽しみください。

🎁『つくばぷりん』アソートセット


🎁つくば路15個詰 【筑波路】

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

つくば路15個詰 【筑波路】 【楽天価格】
価格:4,838円(税込、送料別) (2025/8/29時点)


🎁国産つくば鶏 から揚げ もも肉


🎁筑波ハム ソーセージ 詰め合わせ


カテゴリー
blog life photo

屏風ヶ浦:千葉の絶景

千葉の絶景:東洋のドーバー

源頼朝の心を救った風景

今回は千葉県銚子市、屏風ヶ浦をご案内します。 源頼朝が『まるで屏風のようだ』と感嘆したと伝わる、長さ約10kmにわたる断崖絶壁。「東洋のドーバー海峡」とも呼ばれる絶景。国の名勝・天然記念物にも指定されています。

まずは銚子駅から旅をスタートします。

銚子駅から旅をスタート

横浜市の京急線にも「びょうぶがうら」という駅名がありますが、あちらは「屛風浦」、こちらは「屛風ヶ浦」です。

圧倒的なスケール感に圧倒される

駅から現地へ。まずはその全貌をお見せします。

屛風ヶ浦全貌

この迫力は現地に行って始めて味わうことができます。10kmにわたって高さ40〜60mの崖が続く。まさに日本が誇る『東洋のドーバー』です。

10kmにわたって高さ40〜60mの崖

この地層は「飯岡層(いいおかそう)」と呼ばれます。
約300万年前〜100万年前、ここは水深数百メートルの深い海の底でした。そこに静かに降り積もった細かな泥が、この巨大な壁のベースになっています。
飯岡層と呼ばれる理由。この地区がもとは飯岡町でしたが、平成17年旭市と合併し、旭市飯岡となりました。地質学の世界では、観察できる地名を名付けるそうです。

地層をマクロの視点で読み解く

崖に近づき、地質学的な価値を深掘りします。

地質学的な価値のある飯岡地層

この美しい縞模様は下総台地が削られてできた断面、いわば数百万年分の地球の地層図です。

縞模様:下総台地が削られてできた断面

「泥岩(でいがん)」という、海の底に積もった細かい泥が固まってできた岩石が主成分です。海の化石が発見できるかも。

縞模様は下総台地が削られてできた断面は泥岩

この風景を見て不思議に思ったことがあります。
なぜ周辺は平坦な土地が多いのに、ここだけ40m〜60mもの高さの崖になっているのか。

理由は、この場所が隆起(りゅうき)」しているからです。

ここは元々「山」だったわけではなく、「平らな高台が、海に削られて今の形になった」のです。

形成のプロセス:
1.プレートの力で海の底の地層が平らな台地として地上に出る。
2. そこに太平洋の激しい荒波が直撃する。
3. 柔らかい地層(泥岩)なので、波が根元をどんどん削る。
4. 支えを失った上の地層が崩落し、垂直な崖ができる。
5. これが10kmにわたって繰り返された結果、今の姿になった。

崖に刻まれた穴の正体

崖の裾にあるこの大きな穴。 ゆるやかなカーブを描いていて、まるで『巨人のかつら』を外したあとのような不思議な空洞。これは海食窪(波蝕窪)。 太平洋の激しい波が、数千、数万年という時間をかけて崖の柔らかい地層を一点集中で削り取った証拠。

屛風ヶ浦の崖の穴の秘密

でも上にあるのは、やけに角ばって鋭い……。これは明らかに人の手が入っています。

屛風ヶ浦の崖の穴の秘密。人が掘った?

歴史のレイヤー:戦時中の記憶

人工の穴をクローズアップし、その背景を語ります。

横に並ぶ屛風ヶ浦の崖の穴の秘密。人が掘った?

陸軍第52軍などが、九十九里浜から屏風ヶ浦にかけて米軍が上陸してくるのを阻止するため、崖の中腹に「洞窟陣地」(機関銃を撃つための銃眼や、兵士が潜む壕)を数多く掘ったそうです。

屛風ヶ浦の崖の穴の秘密。人が掘った?秘密基地

この角ばった穴、実は戦時中に作られた軍事拠点の跡。柔らかく掘りやすい地層だったからこそ、防衛の最前線として選ばれた。太平洋の『波』が削った穴と、戦争という『時代の波』が穿った穴。同じ崖に、全く違う時間の痕跡が同居しているわけです。

同じ崖にある二種類の穴。 片方は数万年の地球の営みを語り、もう片方は激動の歴史を語る。崖の歴史は奥深いです。

頼朝の愛した崖

頼朝の愛した景色、その真の姿

もし、本当に頼朝が見たとしたら、その当時はまだ海の中だったという説もあります。本当に頼朝が屛風ヶ浦と名付けたか?
当時にタイムスリップして確かめたいですね。

頼朝の愛した景色、その真の姿

源頼朝が千葉に上陸した時の真実

頼朝は、歴史上の重要な場面で千葉にやってきています。

石橋山の戦い(1180年): 
平家に敗れた頼朝は、神奈川の真鶴から船で千葉県の安房(現在の鋸南町や館山市付近)に逃げ延びた。

再起の地: 
頼朝は千葉の有力豪族(千葉氏や上総氏)の助力を得て軍勢を立て直し、再び鎌倉へ向かって進軍した。この際、九十九里浜の長さを測らせて「九十九里」と名付けたという説も残っている。

そんな『歴史と地質のレイヤー』を感じながら歩いてみると、いつもの絶景が、少し違って見えてくるかもしれません。

防波堤(護岸)の目的と影響

防波堤(護岸)の目的と影響

屏風ヶ浦の雄大な海食崖は、本来、太平洋の荒波によって常に削られることで新鮮な崖面を維持していました。しかし、その侵食作用による崖崩れや、周辺地域への被害を防ぐために、人為的な防護策が取られてきました。

例えば、東は名洗港から西は刑部岬まで、波打ち際に沿って消波ブロックや護岸が設置。しかし、屏風ヶ浦からの土砂の供給が止まったことで、南に連なる九十九里浜の砂浜が後退するという別の環境問題も発生しています。さらに侵食が抑えられた結果、崖面に植物が生えるようになり、地層の縞模様が見えにくくなっている箇所もあります。

自然は常に変化しています。そこに人間の手を加えることは、長い目で見ると、どうなるのか。難しい課題です。

もし、本当に源頼朝が見た屛風ヶ浦はどうだったのか。海の中に存在していたかもしれません。それは圧倒的な景色だったはず。
神の光として、頼朝に力を与えたかもしれません。

また、戦争中にこの屛風ヶ浦の自然の壁に穴を掘った兵士たちが、今のこの風景を見たらどう思うでしょうか?

そんなことを考えながら、この風景を見ることは、歴史や自然を深く考える絶好の機会です。最高の訪問スポットです。

海風が強いので、写真撮影中に、帽子が飛ばされないようにご注意ください。

アクセス・基本情報

  • 住所: 千葉県銚子市潮見町(銚子マリーナ隣接)
    銚子マリーナ海水浴場から続く遊歩道を歩けば、 地層を間近に観察できます。
  • 駐車場: 銚子マリーナの無料駐車場が便利。
  • 注意点: 崖の上は私有地や危険箇所が多いため、基本は「下の遊歩道」から見るのがルール。

Copyright © 2026 taken the photos by Mr.Soutan. All Rights Reserved.

楽天でお買い物

壮大な自然の力が生み出した奇跡の風景。
そんな千葉県のお勧めの品をお勧めします。

銚子電鉄 ぬれ煎餅 3種類セット


銚子の手焼きせんべい


銚子近海産煮魚詰め合わせセット


加藤水産 お取り寄せ 海鮮 グルメ 魚


カテゴリー
blog life photo

千葉の灯台:海を守る

灯台の使命と歴史と重み

1: 犬吠埼灯台:千葉県最東端

殺伐とした風景こそが、光の舞台

1: 犬吠埼灯台1

周囲には何もない。ただ、青い海と、白い波、そして空。

私がレンズを向ける「灯台」は、多くの場合、人里離れた厳しい海岸線に立っていました。特に千葉県最東端の犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)が立つこの場所は、太平洋に突き出し、海上交通の難所を照らし続けてきた光の舞台です。

灯台の周りが殺伐としているのは、彼らが文明の利便性のためではなく、「自然の猛威」と「航海の安全」の境界線に立っている証拠なのです。

1: 犬吠埼灯台周辺風景

歴史:明治の夜明けを照らした光

犬吠埼灯台の存在価値は、その歴史的な重みにあります。

この灯台が点灯したのは、明治7年(1874年)。近代国家の建設を進めていた日本にとって、海上の安全確保は急務でした。犬吠埼灯台は、イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により築かれました。彼は日本の近代灯台建設に大きく貢献した「日本の灯台の父」とも呼ばれる人物です。

  • 日本で2番目に古い洋式灯台:
    レンガ造りの美しい姿は、明治初期の最先端の技術と、海を守ろうとする人々の意志の結晶です。
  • 素材のこだわり:
    99段ある螺旋階段を登ると見えてくる、分厚い壁と堅牢な構造。これは、ただの建物ではなく、何百年も変わることのない「未来への約束」を具現化した建造物なのです。

使命:灯台の存在価値は正確さにある

灯台の使命は、ただ明るく照らすことではありません。それは、正確な位置情報信頼を発信し続けることです。

  • 光の個性:
    各灯台は、光り方(周期や光の数)が全て異なり、船乗りは夜闇の中でその光のパターンを読み取り、自船の位置を確認します。犬吠埼灯台は現在も「毎20秒に1せん光」を放ち、船乗りたちに正確なメッセージを送り続けています。
  • 変わらない安心:
    どんな嵐の日も、どんな霧の日も、決まったリズムで光を放ち続けること。周囲の殺伐とした景色の中で、この規則正しく、揺るぎない光のリズムこそが、船乗りにとっての命綱であり、灯台の究極の存在価値なのです。

2: 野島埼灯台:房総半島最南端

房総の盾、野島埼灯台:挫折と再起の物語

2: 野島埼灯台

使命:最南端という責務

房総半島の先端、野島埼灯台(のじまさきとうだい)が立つ場所は、まさに「最南端」です。

東京湾に出入りする船、太平洋を航行する大型船にとって、この野島崎を回り込む航路は非常に重要です。この灯台の光が届くか届かないかで、船の安全は大きく左右されます。

その「最南端」という地理的な使命感と緊張感こそが、この孤高の灯台が持つ存在価値の根幹。(椰子の木がその象徴)

2: 野島埼灯台周辺の風景

歴史:震災を乗り越えた再建の物語

野島埼灯台もまた、明治2年(1869年)に、犬吠埼灯台と同じくブラントン設計により点灯した歴史ある灯台でした。しかし、その輝かしい歴史は、大正12年(1923年)の関東大震災によって一度途絶えてしまいます。

  • 失われた光:
    地震により、初代の灯台は崩壊。海上の安全を担う光が一夜にして失われ、当時の航路にとって大きな危機でした。
  • 再起の象徴:
    その後、すぐさま再建され、現在の白く美しい灯台は、「失われた光を、二度と絶やさない」という強い決意と、復興への願いを込めて再点灯されました。

殺伐とした美しさの正体

野島埼の周囲には、派手な観光施設はありません。あるのは、荒々しい岩場と、その岩場を洗う白波だけ。

この殺伐とした風景は、灯台が担ってきた「自然との闘い」の歴史を雄弁に物語っています。灯台は、その場で何世代にもわたって、変わりゆく海と空を観察し、記録し、その知識と光をもって船を守り続けてきました。

周辺の余計なものがそぎ落とされた環境だからこそ、灯台の白い姿と力強い光が、より、純粋な使命の象徴として際立つのです。

3: 洲崎灯台:東京湾への水先案内

房総半島の入口と出口を守る「門番」として機能

3:洲崎灯台:東京湾への水先案内人

使命:航路の「門番」

洲崎灯台(すのさきとうだい)が立つのは、房総半島の西端、館山湾の入口に突き出た岬。この灯台の最も重要な使命は、東京湾に出入りする全ての船に対する「門番」として機能することです。

大型のコンテナ船、タンカー、フェリーなど、日本経済の動脈ともいえる多くの船が、この岬を通過します。灯台の光は、船に正確な位置情報を提供し、複雑で交通量の多い東京湾口での衝突事故を防ぐための、最初の重要な標識です。

3:洲崎灯台:東京湾への水先案内人そして門番

歴史と価値:現代の海運を支える光

この灯台は、関東大震災後に再建され、現在の姿になりました。周囲に何もない殺風景な環境は、船乗りにとって灯台の光だけが頼りであることを強調します。その白い姿は、「大都会のすぐそばにありながら、人の営みから切り離された使命」を静かに示しています。

4. 勝浦灯台:リアス式海岸の安全

九十九里浜の始点と終点を守る光

4. 勝浦灯台:リアス式海岸の安全

使命:複雑な地形を照らし安全を確保。

勝浦灯台(かつうらとうだい)は、房総半島の中央東岸、複雑な海岸線を持つリアス式海岸の岬に立っています。この地形は、荒天時には波が激しく、船にとって危険な場所が多いです。

勝浦灯台の使命は、港へ出入りする漁船や、入り組んだ地形を避けながら航行する小型船に対して、浅瀬や岩礁の位置を明確に知らせることです。その光は、遠洋航海よりも、むしろ地元の漁業の安全という、生活に直結した重要な役割を担っています。

4. 勝浦灯台:リアス式海岸の安全管理

歴史と価値:地域の生活と共にある光

この灯台は、地域の漁業を支えるために、古くからその役割を果たしてきました。その存在価値は、地域の港町のシンボルとして、人々の暮らしに寄り添ってきた歴史にあります。灯台が放つ光のリズムは、単なる航路標識ではなく、地元の人々にとっては「今日も一日、漁から無事に帰ってこられた」という安堵のサインなのです。

4. 勝浦灯台:リアス式海岸の安全そして無事の帰還を願う

5. 太東崎灯台:長い砂浜の目印

房総半島の入口を守る光

5. 太東崎灯台:長い砂浜の目印

使命:九十九里浜の「始まり」を示す

太東崎灯台(たいとうざきとうだい)は、日本有数の長さを誇る九十九里浜の南端に位置しています。

九十九里浜のような単調で変化に乏しい砂浜の海岸線は、船乗りにとって、陸の目印(ランドマーク)を見つけにくいため、かえって危険です。太東崎灯台の光は、長い砂浜の始まりを示す、唯一無二の目印としての使命を担っています。

5. 太東崎灯台:長い砂浜の目印、長い砂浜の始まりを示す役割

歴史と価値:地形と一体化した標識

現在の灯台は比較的新しいものですが、その場所に灯台が立つことの価値は変わりません。地形そのものが持つ目印としての役割を、夜間に光で引き継ぐのが太東崎灯台の存在意義。周囲に人工物がない殺伐とした岬の景観は、灯台が担う「自然の中で迷子になることを防ぐ」という、原始的な使命を強調しています。

6. 飯岡灯台:九十九里浜の「終点」

6. 飯岡灯台:九十九里浜の「終点」

使命:屏風ヶ浦の「安全」を知らせる

飯岡灯台(いいおかとうだい)は、九十九里浜の北端、断崖絶壁屏風ヶ浦(びょうぶがうら)の始まりに立っています。

九十九里浜を北上してきた船にとって、この灯台の光は「間もなく断崖にさしかかり、航路を変える必要がある」という重要な警告信号の役割を果たします。その使命は、船を誘導すること以上に、危険な地形への接近を防ぐという、防御的な意味合いが強いのが特徴です。

歴史と価値:光のバリアとしての存在

飯岡灯台が立つ高台からの景色は、屏風ヶ浦の荒々しい姿を一望できます。灯台の白い光は、この危険な地形に対する「光のバリア」として機能し、船乗りたちに常に警戒を促します。周辺の風景がもたらす緊張感こそが、この灯台の存在価値を際立たせる舞台装置なのです。

6. 飯岡灯台:九十九里浜の「終点」そして、「光のバリア」としての存在

同じような姿、殺伐とした風景。朝夕の瞬間の美しさは別格として、地味な存在、孤高の光としての灯台を写真で撮り続けたのは、そこにこそ価値があるからと信じた行動からです。

灯台の存在価値は、今こそ皆様に知って頂きたいと願っています。写真は知られざる価値を表に出す作業かもしれませんね。

Copyright © 2026 taken the photos by Mr.Soutan. All Rights Reserved.

楽天でお買い物

見えないものこそ価値があるのかもしれません。でも、見えるものの価値を知る楽天でぜひお買い物をお楽しみください。

💑蒲鉾の老舗かねまん本舗 花見月ふじ 5種5品


💑5種類 ミックスナッツ ミルクチョコ ホワイトチョコ


💑かね七 昆布巻詰め合わせ


💑お楽しみ福袋 6か月計6回頒布会 @5000円コース