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AIイメージでドイツ旅

憧れのドイツ

ノイシュバンシュタイン城の謎


今、美しいクリスマスカードを眺めている。ドイツのDistel夫妻からの大きなカード。ノイシュバンシュタイン城の絵とそこに達筆な文字で書かれている文面。その旅先での写真が添えてある。「謎だらけの城と城主」と大きなタイトルまでついている。ドイツ滞在中にお世話になったご夫妻カールとミナ。家族のように親切にして頂いた。特にミナには掃除の仕方まで教わったほど。

白鳥のいる風景

川面に浮かぶ白鳥に心ひかれる

7歳の時ドイツに恋をした
painting by Distel

絵を描く原点がドイツ

小学一年の入学時、父からの贈り物は世界の国々の写真が掲載された本。見事な装丁でワクワクしながら開くとそこには別世界が存在した。そこでひときわ印象に残ったのが白鳥。白く優雅な羽を川面に反映させ、悠々と泳ぐ白い鳥たち。私が住んでいた近くの川(鬼怒川)では一度も見たことがない。しかも、河岸の建物や橋の美しさ。すっかり心を奪われてしまった。
ドイツに行きたい。そしてドイツの絵を描きたい
それ以来の私の夢、生きる目標になったドイツ。

レンガ造りの古都

ローテンブルクの街並み

ローテンブルクの街並み
painting by Distel

ドイツ南部のバイエルン州にあるこの古き街は日本の平安時代初期頃からの歴史を持つ。30年戦争や世界大戦にも焼けなかったのは、日本の江戸時代のように、長きに渡り、栄枯盛衰のの状況だったことがその理由。世界の潮流から取り残され、静かに暗い街だったから、相手にもされなかったのだろう。
おかげで古き良き時代の姿を残すことができた。災い転じて福となる。
今はドイツ観光になくてはならない価値ある存在になっている。

マルクト広場を中心に花で飾られた清潔感あふれる建物が続いている。ドイツ人は世界一、家を長く、きれいに保つ国民です。

古都バンベルク

バイエルン州にある古都バンベルク
painting by Distel

バンベルクは大学都市であり、ビールのおいしさでは断トツ。バイエルンの真珠とも称される古都。大戦の犠牲にならず、千年の歴史を保っている。

上の絵は、レグニッツ川の中に建つ旧市役所。14世紀の建築でこの建物専門の修復を行う建築家とその場で遭遇した。「素晴らしいですね、ブンダバー」と声をかけると笑顔を返してくれた。

花を愛するドイツ人

ドイツはどこに行っても窓辺を飾る花々を見ることができる。窓辺だけでなく、家々の庭も花盛り。クリスマスの時期になると、朝市には美しい花を並べる沢山のブース。男女問わず、花束を胸いっぱい抱えて、帰宅する人が多い。

花かごに花いっぱい

花かごに花いっぱい
painting by Distel

カフィの庭にも咲き乱れる花々

カフィの庭にも花いっぱい
painting by Distel

教会の存在価値

街のシンボルは教会

マイセン風景

マイセン風景
painting by Distel

ドイツでは宗教改革以後、カトリックとプロテスタントが半々を占めていた。しかし、昨今、キリスト教を信仰するものが減少。私が最初に訪れた頃も既に若い人々は教会に行かないという選択肢を選んでいた。それが最近では、過半数を占めている。

教会が街を見守る

教会が街を静かに見守っている
painting by Distel

ドイツでは建物を無計画に作るのではなく、古き良き建物をリフォームして使う。私が住んでいたアパートは約90年の築年数。それをドイツの友にいうと「新しいわね」と言葉が返ってきた。90年が新しい? 摩訶不思議。
しかし、ある日の午後、震度3の地震があったとき、慌てふためく人々を見て「ああ、そうなんだ」と納得したことがある。
地震や火事がなければ、家は長持ちするはず。木造りだって100年は持つ。災害がなければですが。

その地震の余談ですが、翌日の新聞に「地震で恐怖に襲われた女性が3階の窓から飛び降りて負傷した」と小さな記事が掲載されていた。いかにドイツに地震がないかが分かった瞬間です。

ノイシュバンシュタインの謎二つ

戦争の要塞ではない謎の城

秋のノイシュバンシュタイン城

ノイシュバンシュタイン城
painting by Distel

ノイシュバンシュタイン城とは、ノイは新しい、シュバンシュタインは白鳥。白い白鳥という意味のこの城はバイエルンにある。ルートヴィッヒ2世が借金まみれの末に建築をし、未完成のままであの世に行ってしまった。

謎は二つ。

なぜルートヴィッヒ2世は亡くなったか?
なぜこの城を作ったか?

なぜルートヴィッヒ2世は消えた?

1869年9月に建設開始。日本では明治維新の二年目。版籍奉還や東京遷都が行われた頃。しかし、その莫大な費用のため、当時の内閣との紛争の結果、精神異常者としてベルク城に閉じこめられた。その翌日、自殺か、他殺か、湖畔を散歩中に亡くなってしまった。今では、岸辺に木製の十字架が建てられている。私はその河岸、シュタルンベルク湖畔でボートに乗ったことがある。その時「なぜ亡くなったのだろうか?」を考え続けていた。

★付き添いの医者が命じられて彼と一緒に湖に身を投げたのか?
★幽閉され、自由を奪われて生きる気力が無くなったのか?
★単なるボートの上での事故?
当時のルートヴィッヒ2世は写真で見るような若くてハンサムな男ではなく、太って見る影もなかったのではないかと思う。

ルートヴィッヒ2世はこの世からは消えてしまったが、あの洞窟や空っぽに見えるノイシュバンシュタイン城の中を悠然とさまよっているような気がする。城内の冷たい空気の中を歩いていてそんな心持になった。多分、それは私だけの体験ではないのでは。

なぜこの城を作ったか?

足を伸ばし、鍾乳洞の奥深くまで行き、ルートヴィッヒ2世に思いを馳せた。彼はノイシュバンシュタイン城を戦争のためでなく、あくまで自分の趣味を優先するために築造した。彼が城より熱心に作ったという神秘的な鍾乳洞を散策し、その舞台のような豪華さを見て、確かに戦争目的ではないと確信した。
鍾乳洞を奥深く進むとそこにはまるでオペラを上演できるかのような舞台が築かれ、透明に輝く氷の柱の中で実に神秘的な雰囲気を醸し出していた。これが城よりもルートヴィッヒ2世が作りたかったものだった。ワグナーの曲をここで演奏したかったに違いない。これが彼の本当の目的だったのではないか。
孤独を愛する王のための壮大な空間。彼の見える城は多分永遠に完成しなかっただろう。彼の目的がそこにはなかったから。

城に車は乗りいれることはできず、徒歩か、馬車でいくしかない。だからこそ、排気ガスで汚れ切ったケルン大聖堂と同じ時代の建物にも拘わらず、美しい姿を維持できている。走れば15分で下ることができる。しかも、麓には美味しいランチを提供してくれる店が沢山ある。
皮肉にも世界的な観光スポットになってしまったノイシュバンシュタイン城。正直、ルートヴィッヒ2世のおかげで、世界中から観光客がやってくる。現代人にカジノで費やす人はいても、こんな文化的な無駄遣いができる人はいない。ても、借金はすでにすべて返却できたのではと私は思う。世界からの観光客があれだけ訪れているのだから。

世界遺産に2024年登録

基礎的な部分はコンクリートでできていて、水道まである近代的な城。そのため、世界遺産には長い間、認定されなかったが、2024年にやっと世界遺産に登録された。
ロマンティック街道の終点として、世界の観光スポットとしての価値を認められたのだろう。日本の姫路城とも友好関係を築いている。

小さな礼拝堂

ただ、この城は遠くから見るのにはいいけれど、中は空っぽ。人が住んだ形跡がないから、後から運んだ価値のない展示物だけ。入り口も裏側はベニヤ板で応急措置。
しかし、城の上に昇ると寝室の近くに礼拝堂。それはロイヤルブルーに金の星が輝き、夜空の雰囲気。多分、すべて空っぽでは観光客ががっかりするから、せめて少しは楽しんでという願望がその小さな礼拝堂だったかも。

もし、時間があったなら、麓のホーエンシュヴァンガウ城の内部の見学をお勧め。ルートヴィッヒ2世が幼少期に住んでいたこの城の内部はすべてアートフルで豪華です。

ドイツの教会の今後

ドイツの教会や宗教がどう変化するか?

例えば日本。無宗教といいながら、神社やお寺にお参りする。神も仏も信じないといいながら、いざ災難というと「神様 仏様」と祈ってしまう。それが人間の弱さかもしれない。多分、ドイツ人も教会にはいかないけれど、思想的にキリスト教が根底にあるはず。長い歴史的な遺伝子は体内に必ず残っている。

最後に2025年2月のドイツの総選挙はかなり混迷したようですが、投票率が80%以上という結果。政治に深く関心のある国民性を反映してます。

絵の旅人Ms.Distel(日本語でアザミ)本名は山田みち子。これからもお楽しみに!  

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魔女の宅急便アニメ舞台

クロアチアは、バルカン半島の西側、アドリア海沿岸にある美しい国。かつてはユーゴスラビアに住むクロアチア民族。第二次世界大戦中に「クロアチア独立国」が誕生。その後の紆余曲折の歴史を経て、現在の美しい姿になった。

モチーフ探し紀行文

スタジオジブリのアニメ映画「魔女の宅急便」の舞台になったクロアチアのドゥブロブニクが、少し前に内戦で空爆を受けていたなんて。旅するまで何も知らなかった。人々の愛と労力があってこその美しい街、貴重な世界遺産です。

ドゥブロブニク散策

ドゥブロブニクの城壁から
painted By Ms. Distel

城壁の上を歩く散策コースがあり、美しい風景を眺め、魔女の宅急便の世界に浸りました。

ドゥブロブニクのおしゃれなカフィ

ドゥブロブニクのおしゃれなカフィ
painted By Ms. Distel

散策の後はもちろんカフィ。フェスティバルという赤いテーブルクロスの店でケーキセットを注文。美味しかった!

ドゥブロブニクの路地裏

建物の途中途中に路地があり、そこから見える風景がお見事。
とても絵になる風景。女性は後から描きこみました。

ドゥブロブニクの路地裏
painted By Ms. Distel

クロアチア・ザグレブへ

クロアチア最大の都市ザグレブ
painted By Ms. Distel


クロアチアの首都ザグレブ。旧市街が美しいだけでなく、街中を歩くだけでアートフルな気分に浸ることができる。

自然はプリトヴィッツェ湖群国立公園が代表的。私も一日かけて散策したが、透明感のある滝や湖沼、そしてスノウドロップの白い花に心奪われました。途中、おしゃれなレストランで地元料理パスタで元気を頂きました。

クロアチアの島が美しい

アドリア海にオレンジの屋根が宝石みたい。

コルチュラ島

クロアチアの島コルチュラ
painted By Ms. Distel

アドリア海に地震は?

ドゥブロブニクで泊まったホテルはアドリア海岸に地下から行き来できた。毎朝、地下の出入り口から外に出たのだが、なんと警備員は猫。白い猫がいつもお出迎えしてくれた。朝早くの時は、なんと海岸にまでついてきて、しばらく海を一緒に眺めていた。
言葉はにゃーん。一言で通じたようだ。
ホテルが海岸線と同じ標高。日本では考えられない立地条件。しかし、ホテルのベルボーイ君の話では、
「地震なんて知らないよ。津波なんてみたことないし」と
明るい笑顔、片言英語で話してくれた。
「ツナミをしらない。でも空からの砲撃は知っているよ」
明るい笑顔が一瞬消えた。自然より、人災が大きい爪痕を残す場合がある。彼の眼はそう言っているように見えた。

ホテルの警備係の猫

ホテルの警備係の猫
painted By Ms. Distel

クロアチアの歴史

クロアチアの歴史は古く、古代ローマ時代やオスマントルコ、ハプスブルク帝国の支配も受けていた。その後、ユーゴスラビアの支配下にあったが、1980年チトー大統領の死後、民族主義者が台頭し、1991年6月に「クロアチア共和国」としてユーゴスラビアから独立宣言。

ところが、その後、ユーゴスラビア連合軍の砲撃でドゥブロヴニク旧市街が破壊された。これがクロアチア紛争の発端。旧市街はその約80%が破壊されたそうです。紛争が終結したのは1995年12月。それから住民の復興作業が行われ、私が訪問した時は、ほぼ98%がもとに戻ったと地元のタクシー運転手さんが誇らしげに話してくれた。でも城壁から見渡すとまだ破壊されたままの爪痕があちこちに見え隠れしていた。

戦争や紛争は宗教、民族、領土争い。様々な理由はありますが、どれも結局、破壊作業。文化や生活や人々を破壊し、幸せを食い尽くしてしまう。

何もなければ、美しいアドリア海に穏やかな気候。地震も津波も台風もない世界。紛争さえなければ、最高の世界になるはず。クレ・クール寺院

バチカン半島は火薬庫

バルカン半島は世界の火薬庫。歴史でそう学んでいた。クロアチアの歴史どころか、その存在さえ知らなかった学生時代。ユーゴスラビアの紛争は何度も耳にしたが、それが、クロアチアやセルビア人に結びつかなかった。

今回の旅で、セルビア人の少女と出会って、紛争などまるでなかったかのような、その屈託のない笑顔に感動した。

少女の名はアデル

少女の名はアデル
painted By Ms. Distel

ホテルで出会った少女の名はアデラ。瞳の美しい女の子。

今のクロアチア

クロアチアのドゥブロブニク

今のクロアチアのドゥブロブニク
painted By Ms. Distel

今のクロアチアは紛争もなく、農業生産も好調で、平和な国といえる。
スプリットという街にも行ったが、朝市でたくさんの人々が交流し、平和を満喫していた。

少女アデラの願い

アデラは現在、ホテルのフロントで働いている。空爆で両親を失って、ホテルの支配人に助けられたという。
「どうか、今の平和が続きますように」と、英語とドイツ語で語りかけてきた。その美しい瞳に圧倒された。悲劇はもういいと、アデルは最後につぶやいた。

少女アデラの願い
painted By Ms. Distel

この美しい街を守りたい

クロアチアには世界遺産に認定されたスポットが10もある。
バルカンの火薬庫といわれた国が世界の宝石と称号を変えた。
この平和がいつまでも続くように祈りながら、旅を終えた。

大国に支配され、独立し、また支配されるという繰り返しの歴史を持つクロアチア。今でこそ平和で美しい宝石のような国となったが、またどこかの大国の標的になるかもしれない。

どうか、そんなことが起こらないよう祈るばかりです。
日本が支配されなかったのは、極東の島国、大国から遠い存在だったという地理的なものかも。また江戸末期、海外勢から日本を守ろうという勇気ある人々がいたから。
クロアチアの帰国の便でそんなことを考えていました。

Copyright © 2025 painted by Ms. Distel. All Rights Reserved.

絵の旅人Ms.Distel(日本語でアザミ)本名は山田みち子。これからもお楽しみに!   

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世界最古大賀ハスの写真

泥水を糧に美しい花を咲かせる蓮

世界最古の大賀ハス

世界最古の大賀ハスはクローン?

世界最古のハス

1951年、大賀一郎博士が、千葉市検見川にある東京大学検見川農場の落合遺跡で、2000年前の蓮の種を発掘。その種を元に発芽・開花させた蓮を大賀ハスと称している。

大賀博士は発掘した芽を開花させることに成功しただけでなく、国外内、惜しみなく分け与えた結果、現在、2000年前の蓮が世界中で美しい花を咲かせている。まさにハス・クローン

大賀ハスのスライドショーをお楽しみください!

観賞用ハスの栽培をする東大生

その後、観賞用蓮品種の研究が続けられ、2010年、西東京市の田無キャンパスに移設され、東大生態調和農学機構となり今日に至っている。

大賀ハスの写真集

田無キャンパスに移転する前年に、千葉市の検見川にあった東大緑地植物実験所で公開された際に、早朝からカメラを担いで撮影した大賀ハスの写真をごゆっくりご鑑賞ください。2000年前、同じように咲き誇っていたのではと想像するだけでわくわくしませんか。

写真術:蓮を美しく撮る3つのコツ

Mr.Soutanの写真術:蓮を美しく撮る3つのコツとは?

①蓮の花の開花は朝早いので早朝から撮影

②蓮の花は開花時期より、開花時間が大切

③構図の切り取り、視点、露出を変える

①蓮の花の開花は朝早いので早朝から撮影

深夜の一時頃からゆるみ出し、早朝7時~9時頃に全開。

深夜の一時頃からゆるみ出し、早朝7時~9時頃に全開。

腰を下ろし、花を見上げ、光と影を意識して撮る。

腰を下ろし、花を見上げ、光と影を意識して撮る。

葯(やく)の美しさを蝶になった気持ちで上から撮影。

葯(やく)の美しさを蝶になった気持ちで上から撮影。

花びらが全開するのは、7~8月中旬頃まで。しかも早朝。
全神経を集中し、シャッターを押す。

花びらが全開するのは、7~8月中旬頃まで。しかも早朝。
全神経を集中し、シャッターを押す。

②蓮の花は開花時期より、開花時間が大切

蓮の花の開花時間帯
日の出とともに咲き始め、7~9時頃に満開を迎え、9~10時を目安に花は蕾へと戻り始める。午後になると咲いている花はほとんどなく、翌日散ってしまう。美しい存在は薄命かも。

蓮の花の開花時間帯

細い茎に大きな花びら、風が吹くと揺れるため、ピンボケになってしまう。ピント(焦点)がピッタリ合う瞬間を待とう。

細い茎に大きな花びら、風が吹くと揺れるため、ピンボケになってしまう。ピント(焦点)がピッタリ合う瞬間を待とう

背景をぼかすことで、花びらの陰影や花びらの透明感を表現。

背景をぼかすことで、花びらの陰影や花びらの透明感を表現。

同じく背景をぼかし、花びらや葯(やく)の軽やかさを表現。

同じく背景をぼかし、花びらや葯(やく)の軽やかさを表現。

③構図の切り取り、視点、露出を変える

何を撮るか?撮る人のセンスも関係するが、その時しか得られない偶然性の出来事、チャンスを生かすのも大切。

何を撮るか?撮る人のセンスも関係するが、その時しか得られない偶然性の出来事、チャンスを生かすのも大切。

花びらが一枚一枚、まるで踊っているかのような柔軟性を表現。

花びらが一枚一枚、まるで踊っているかのような柔軟性を表現。

「これから一緒に咲こうね」と蕾を誘うような表情を表現。

「これから一緒に咲こうね」と蕾を誘うような表情を表現。

背景を深緑色にぼかすことで、白い花びらを一段と美しく表現。

背景を深緑色にぼかすことで、白い花びらを一段と美しく表現。

写真コラム:白黒からカラー

なぜローマの休日は白黒?

写真が白黒、テレビも映画も白黒。それが1935年にカラーフィルムが開発され、1941年には、日本初のカラーフィルムが発売された。

余談ですが、そのカラーフィルムの一番乗りは野口英雄博士だったそうです。黒いスーツの胸ポケットに黄色い花を挿して撮影。写真を撮られるのが大好きだったらしい。

その後、1981年にソニーから「マビカ」というカメラが発売されてから、フィルムからデジタル、そして、今のスマホ付きのカメラへとすごいスピードで変化し続けている。

そこで映画「ローマの休日がなぜ白黒か?」
とふと思った。
学生の頃、始めて映画館で見た時、オードリー・ヘプバーンの美しさに声も出なくなるほどびっくりした。
「美しい!こんな美人が世界にはいるんだ」
先日、久しぶりにビデオで鑑賞。自分でも驚いたが、カラー映画を見ている今の自分が、白黒映画に感激している。
白黒だからこそ美しく見える主人公、そしてローマの風景。

当時はすでにカラー映画が出ていた。「風と共に去りぬ」などはローマの休日より前の作品なのに総カラー。

なぜローマの休日は白黒?
調べてみると予算がなかったからという理由。ローマでの撮影となるとアメリカの映画会社としてはお金がかかりすぎる。
そのために白黒だったということらしい。
でも、本当に美しく、ヒロインを撮影し、ローマの魅力を再現している。カメラスタッフの技術力が当時の最高峰だったことも幸いしている。白黒映画、白黒写真。これからも残って欲しい。

付録の「白黒写真」

昭和40年代に学研の付録に「白黒写真」というのがあり、大いに理科への興味が湧いた。当時はカメラはとても高級で子供が持つことなど夢のような時代。しかし、撮影の基本が理解できる楽しい付録シリーズだった。
多分、それがもとで写真に関心を持った人々が多いと思う。

時代の進歩はとにかく速く、理解するどころか、ひたすら追いかけて走っている状態。しかし、写真がデジタルになって、そのためにパソコンが使えるようになったのは儲けもの。

人生、無駄な経験はないということです。

蓮の花言葉は「清らかな心」

蓮の花言葉は、「清らかな心」
ハスが泥の中から美しい花を咲かせる姿から付けられた花言葉と言われている。そして清らかな心は悟りの世界を表している。
即ち、蓮の花は仏教における最上の花として、悟りの世界を象徴する花となっている。

蓮は泥の中に根付いて水面上にきれいな花を咲かせる。
蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉もあるように、泥の中にありながら、まっすぐに茎を伸ばし、美しく咲く姿が、煩悩に溢れた俗世に染まらず、清らかに美しく生きる姿が悟りを開くことを目指す仏教の教えに通じる。

インドでは、インダス文明の頃から神聖化され、今は国花とし大切にされている。ちなみに呼び方は「ロータス」英語読み。

大賀ハス:クローン技術

大賀一郎博士にノーベル賞を!

大賀博士が2000年前のハスの種を見つけた場所は、千葉県検見川の落合遺跡。弥生時代の発掘現場、地下6メートルの場所。そこで発掘できたのはたった3粒。博士はその2粒の種を失敗。三度目の勝負をかけた3粒目が見事発芽、そして開花した。

実は博士、ハスの研究を始めてからすでに30年以上が経過していた。もっとも、ハスに興味を持ったのは子供の頃。近くの神社の池に咲いているハスに心を奪われた。それからの人生、全てハスに捧げた情熱が成功の要因だったといえる。

博士は学生たちの力を借りて、その種を増やし、欲しいという人々に分け与えた。そして今、2000年前のハスが全世界で花を開花し、人々を楽しませている。ハスのクローン技術は素晴らしい発展を遂げている。

ハスは古代において、花の美しさばかりでなく、生活の必需品だったに違いない。根や実に様々な薬効があり、食用としてもミネラルや食物繊維が沢山含まれている。

大賀博士は30年以上の研究の成果で、ハスの生態を熟知していた。だから、6mも深い発掘作業の中で、たった3粒を発見できた。一般人には考えられない非常識な行為。でも、博士は自分を信じて実行した。そして、世界最古のハスを発芽、開花させた。

1965年に82歳でこの世を去ってしまったが、たぶん、あの世でもハスの研究を続けているはず。

大賀博士の偉大な業績にノーベル賞を!
ぜひ記憶に留めて欲しい大賀ハス!

大賀ハスを撮影しながら、ハスだけでなく、様々な知識が得られる。やはり写真万歳。
毎月1日と15日に更新。お楽しみに☘️

ハスの写真を楽しんだ後は、ハスの商品がお勧め💑

ハスの花は鑑賞するだけでなく、美白効果もあるそうです。ハスの実は薬効成分、ハスの地下茎であるレンコンを食べると多分、美肌だけでなく体全体にいいかも。お勧めです。

手乗りハス 小舞妃 ポット苗


花ハス:中型品種(草丈)(肥料付)


ハスの実 1kg(胃腸機能を高め、疲労回復、むくみ予防他)


Copyright © 2025 painted by Mr. Soutan. All Rights Reserved.

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楽々AI画像:Ms.Distel

Ms.Distel(山田みち子)にとって、旅は絵のため、絵は旅をするため。そんな人生を歩みながら旅先でたくさんの絵を描き続けて30年。それらの作品を紀行文を添えてお送りします。

イギリス・フランス
モチーフ探し紀行文

絵を描くことは私の幸せ。
今回は、わが青春の思い出のロンドンとフランスのモン・サン=ミッシェルを描き、紀行文を添えました。楽しんでね。💕

美術館散策

ロンドンには美術館や博物館が多々あります。その中でも有名なのが大英博物館、ナショナル・ギャラリー、テート・ギャラリー、ヴィクトリア&アルバート博物館等々。
私が最初に訪れたのは大英博物館と帝国戦争博物館。

なぜ?

道筋がわかりやすかったからという理由と料金の安さから。貧乏学生だった私には、とにかくお金がなかった。

たしか、帝国戦争博物館でゼロ戦闘機を見た記憶がある。ロンドンに不時着したと記載されていた。二度目に訪れた時は見当たらなかった。残念でした。

イギリスで特に印象的だったのは、大英博物館で出会った北斎展。今でも思い出すことがある。

次にテート・ギャラリー。この美術館には毎日通って、キャンバスの裏まで見つめるように時間をかけて眺めていた。そんな私に館長さんが何度も声をかけてくれて、絵の説明をしてくれた。点描画の作品などは下絵の絵具の色まで教えてくれた。入館料無料の客にここまで親切に対応する館長さん。イギリスはなんて素晴らしい国だろうと感激の日々を過ごした。

そこで出会ったのは、印象派の作品、モネやセザンヌ、シスレーやドガ。しかし、私が一番感銘を受けたのは、ピサロ。カミーユ・ピサロの大作の前に行ったときに、雷が打たれたようなショックを受けた。百年頑張って描いても勝てないと悟った。

それ以来、日本にピサロの作品がやってくるときは必ず会いに行くのだが、みんな小さな作品。あの大きな作品は幻だったのかと思う日々です。

ビックベンと赤いポスト

◆赤いポストとビックベン

赤いポストとビックベン
painting by Ms.Distel

1859年の7月、ビックベンはロンドン市内に時間を知らせる鐘を鳴らした。約96mの高さから流れ出る音は、私が学校で聞いていた音と同じだったので不思議に思って調べると、元祖はビックベン。日本の学校が真似たらしい。ありがとうビックベン!

テムズ河岸を歩く

◆テムズ川からのビックベン

テムズ川からのビックベン
painting by Ms. Distel

テムズ川はターナーの絵でなじみがあり、何度も河岸を歩いた。朝日、夕日、そしてターナーの描いた淡い曇り空。どんなときにもカモメが飛び交っていて、ホテルの朝食のパンの残りをおすそ分けした。朝食のパンは真っ黒こげで実にまずかった。でも、このホテル、クリスマスが近づくころから毎朝素敵な朝食を運んでくれた。なんとクリスマス・イブには七面鳥でもてなしてくれた。今でもその味を忘れることができないほど。七面鳥を食べたのはそれ一回きりだから。

テムズ川の河岸のベンチは私の休息場所。静かに座っていると、必ず老婦人がそばに寄ってきて、何かを語りかけてきた。

理解できないロンドンなまりの英語だったが、相づちを打っていると、老婦人の顔が笑顔でいっぱいになり、やがて「神に感謝」といいながら離れていった。私がよほど孤独な人間で「助けてあげた」と自己満足したようにも見えた。

ただ私はテムズ川の風景に感動していただけなのに。
私は川の畔が幼い頃から大好きで、時間が少しでもあると、川の畔でヒバリの鳴き声を聞きながら、昼寝をしていた。

ロンドンはとにかく全部好きです。

そして水彩画家のターナーもあの何とも言えない淡い雰囲気が大好きです。

モン・サン=ミッシェル&二都物語

モン・サン=ミッシェルは描きたいと願い続けた憧れの地。

◆朝もやのモン・サン=ミッシェル

朝もやのモン・サン=ミッシェル
painted by Ms. Distel

苦難の歴史

日本の飛鳥時代、和同開珎が作られた頃にモン・サン・ミッシェルは小さな礼拝堂として生まれた。その後に厳しい戒律で知られるベネディクト派の修道院が増築された。13世紀ごろに今のようなゴシック式の建物になったが、14世紀頃には、要塞として使用された。

その後、フランス革命後は監獄として利用された。

内部の地下に大きな木造りの車輪があり、それを囚人が動かすことで、動力エネルギーにしたと説明を受けた。車輪の間に人が乗り、足を動かすことでエネルギーが生まれる。過酷そのものの世界だったようです。

19世紀になってやっと教会としての役目、信仰の砦としての存在を確立できた。

1979年にユネスコの世界遺産に任命されて今に至る。
西洋の驚異と言われるこの美しい存在物は信仰があるなしにかかわらず、人の心をつかんで離さない。

オムレツを食べる

このモン・サン=ミッシェルには名物料理がある。オムレツです。世界中から訪れる信仰者たちをアネット・プラーネ夫人が迎え入れた時にふるまった料理。疲れ切った巡礼者のための料理。
現代人のように、近くまでバスで行って、贅沢な舌で味わうのとはわけが違う。
昔は肉や野菜、果物は島に運ぶのは大変。そこで素早く調理できる卵料理をふるまう。
美味しい味を求めるのではなく、歴史を知るために食べるなら、それはそれでいいのではと思います。

三度目の訪問は姉を同行した。その時に姉にアドバイス。
「オムレツを給仕しているウェーターさんにボクといえば、少ない量にしてくれるから、ボクボクと言ってみて」

姉は周囲からまずいと聞いていたので、さっそく「ボクボク」と連発したら、ほかの人の何倍も皿に盛りつけてくれた。

フランス語でたくさんは、日本人にはボクと聞こえる。

姉は「あのウェーターさん、私に気があるのかしら」とのんきに喜んでいた。もちろん、全部食べた後、味がしなかったとぼやいていたが。

イギリスのヒストリー

イギリスの歴史は日本の江戸時代初期、グレートブリテン王国として誕生した。日本に始めてきたイギリス人はウイリアム・アダムズ。その彼を側近として、西洋のアドバイザーとして家来にしたのが徳川家康。さつまいもを日本に伝えた人物でもある。

1598年、ウイリアム・アダムズはオランダの東方遠征隊で日本へと向かった。当時、ヨーロッパでは大航海時代が到来し、アジアや新世界へと交易を開始したが、イギリスはかなり遅れ気味。
スペインやポルトガルが海上を制覇、オランダやイギリスは後進国としての存在だった。しかし、1588年にスペインの無敵艦隊はドーバー海峡(アルマダ海戦)でイギリス艦隊に敗北、さらに帰途に暴風雨にあって、大多数の船が沈没してしまった。

結果、スペインの制海権は消失、イギリスにとって代わられてしまった。世界でも栄枯盛衰の例はたくさんある。

その事実を知った上でのウイリアム・アダムズの日本での生活。徳川家康にその事実をていねいに説明することで信頼を得ることができたといえよう。

イギリスとオランダ、そして日本とのつながりはそうした歴史的な背景によるもの。もし、ウイリアム・アダムズが何事もなく、イギリスに帰国していたら、その後の家康の思想や行動はなかったに違いない。ウイリアム・アダムズはオランダ、イギリス、日本の懸け橋になった人物といえよう。

同じ島国、かたや産業革命などで世界を席巻した過去を持つイギリス、一方、島国の門戸を閉ざし、小さく自国を守る平和な時代を築いた日本。

現代社会はどちらを高く評価するのか?

余談ですが、ロンドン美術館の多くの作品が、植民地から運んだ貴重品。大英博物館で最初に見たものがエジプトの象形文字。

「そうか、イギリスの文化は略奪品」

でも、それがあったからこそ、大切に保管されて今日まで人々を楽しませてくれている。日本だったら、とうに消失してしまっただろうと妙なところで感銘している自分がいる。日本の江戸時代の芸術作品の多くが大英博物館に保管されている。ありがたい。

◆本に囲まれた生活は幸せ

本に囲まれた生活は幸せ
painting by M.Distel

二都物語

二都物語は、時代はフランス革命前後。ロンドンとパリを時間的、空間的、思想的に描いた作品。二人の青年、カートンとダーニー。そしてイギリスに住むルーシーという女性。彼女の父親は無罪でありながら、牢屋に閉じ込められていた。

二都物語の内容はとにかく複雑。日本語に訳した中野好夫氏、加賀山氏や佐々木氏などを心底尊敬する。日本語ですら、私には理解するのが困難だった。

その内容の中で、二つ、深く残っているところがある。
当時のパリやロンドンの道路の悪さ。馬車で泥を踏みながら走ることで道路はかなり傷んでしまう。
徳川家康はこのことを知っていて、馬車は走らせなかった。
それから、フランス革命で盛り上がっている男性たちを、玄関先で編み物をしながら眺めている婦人たちが描かれている。

時代の流れの中で人々が悩み、苦しみながらも、自分の信じる行為を最後まで全うしたことをこの小説は描いている。

感動した小説ですが、しばらくはその余韻を保ったままでいたい。読み返す気力が湧くのはいつの日のことか。とにかく疲れました。あまりにすごい本の内容です。
(パリから列車でロンドンに行く間に読んだ本です。)

旅の感動と思い出に感謝

旅をする前は、なんの期待もなく、何となく行くという正直、あまり前向きではない心境の私。でも、飛行機を降りて、未知の空気を吸い込んだ瞬間に、目も心も体も日本にいたようなふわふわした気分は吹き飛びます。

毎日が未知との遭遇。人間にとって好奇心は行動力のエンジンです。そして、もう一つ、なぜか絵が描きたくなります。そして夢中で描く自分をそのまま平然と受け入れているもう一人の自分がいます。

これって、私の幸せかも。
これからも描き続けて行きます。

◆歩きながらモチーフ探し

歩きながらモチーフ探し
painted by Ms. Distel

絵の旅人Ms.Distel(日本語でアザミ)本名は山田みち子。これからもお楽しみに!  

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art

幸せを招くAI水彩画

空間の美・花とインテリア

人生を豊かに幸せにするアイテムは花とインテリア。そんな二つを描きました。見るだけであなたを幸せな世界にお誘いします。

旅先のホテルやカナダ、ヨーロッパの友人宅を描きました。
思い出に写真はありません。記憶からイメージして描きました。かなり本物より良くなってしまったかもしれません。
思い出は美化されがち。美しいところ、楽しい思い出のエッセンスだけが残り、それをイメージしました。

生活空間を彩る花

カナダの友人の家のリビング

カナダの友人の家のリビング
painted by Ms.Distel

毎週3回、通いの掃除専門の女性が家中をピカピカにしてました。奥様は彼女の後ろからチェックする係。友人であるご主人はその間、私のバンクーバー市内案内役。楽しい時間でした。

ニュージーランドのホテル

ニュージーランドのホテル
painted by Ms.Distel

朝の光の中で目が覚めました。エリザベス女王も宿泊した部屋。部屋の前には花壇があり、様々な花が咲き誇っていました。

ドイツの友人宅に招かれて

ドイツの友人宅に招かれて
painted by Ms.Distel

マイセン焼きが所狭しと飾られていました。おばあちゃんが愛用していたと話されてました。ピンクのバラが見事でした。

ノルウェーの知人のお宅

ノルウェーの知人のお宅
painted by Ms.Distel

シンプルで美しいインテリア。奥様の趣味だそうです。

視覚的な美:色彩や形

季節や自然の息吹を感じる

ドイツ滞在中に訪問した友人宅

ドイツ滞在中に訪問した友人宅
painted by Ms.Distel

花好きの彼女は庭にもたくさんの花を育てていました。外からの風がレースのカーテンをなびかせていました。

スイスのホテルのフロント

スイスのホテルのフロント
painted by Ms.Distel

レセプションから少し離れた控室の窓辺の花。普通の家の窓辺にも花が沢山飾られて、夏のスイスは国中が丸ごと美しい。

アムステルダムのホテル

アムステルダムのホテル
painted by Ms.Distel

ホテルの入り口から少し入ったところに飾られていました。さすがチュリップの国です。季節を身近に感じました。

個性的な美:素材やデザイン

インテリアは心地よさをもたらす

ハイデルベルクのホテル:朝食タイム

ハイデルベルクのホテル:朝食タイム
painted by Ms.Distel

コーヒーの香りと焼きたてのパン。毎日の朝の日課でした。パンが運ばれてくる間、窓の外を眺める時間は最高でした。

フランスの友人宅の応接間

フランスの友人宅の応接間
painted by Ms.Distel

映画監督までされていた友人の家に招待されて、思わず、素敵と叫んでしまいました。ミルクのたっぷり入ったコーヒーが好きな彼は個性的で好みがはっきりしてました。そんな彼の家ならではの個性的なインテリアでした。(二回結婚されて、二回離婚)

オーストリア人のご主人を持つ友人宅

オーストリアのご主人を持つ友人宅
painted by Ms.Distel

夕食に招かれてお腹を空かして訪問。でも、とても軽い食事でびっくり。いつも朝と晩は軽く、中間のランチはごちそうよと友人は笑顔で答えてくれました。

家族全員がそれぞれの個性を重んじる姿勢に感銘。どの部屋もそれぞれ好みの壁紙を張ったり、何が好きかをはっきりと主張しているインテリアでした。

イギリスの友人宅

イギリスの友人宅
painted by Ms.Distel

おしゃれな部屋は奥様好み。ご主人様は背が高く、190cm以上。とてもやさしい笑顔で私を歓迎してくれました。ご夫婦の大好きな色は青。家中が静かな海の底のようなイメージでした。

自分の居場所

友人のアパートメントは古い外観

外観は古いアパートメント
painted by Ms.Distel

しかし、室内はゴージャス。ワンちゃんたちもゆったり気分。自分の居場所があることはとても大切。築年数150年だそうです。

コーヒータイムでおしゃべり

コーヒータイムでおしゃべり
painted by Ms.Distel

ハイデルベルク大学で席を並べた友人から招待され、楽しい時間を過ごしました。特にアジサイが食卓に飾られているので感激。
「実はアジサイは日本の花よ」と話すと彼女がすごく驚いていました。彼女は子供のころからアジサイが大好きだったそうです。

人生の豊かさとは

衣食住が満たされるだけではない

パリのホテルの朝食:入口の果物籠

パリのホテルの朝食:入口の果物籠
painted by Ms.Distel

ご自由にどうぞとスタッフの方からの声掛け

ホテルの廊下の奥のコーナー

ホテルの廊下の奥のコーナー
painted by Ms.Distel

ベルギーのホテルの片隅で心打たれた飾りつけ。

ドイツの古城で見つけたワンシーン

ドイツの古城で見つけたワンシーン
painted by Ms.Distel

白い花が古城にピッタリ合っていて最高でした。

実はドイツに滞在した時の部屋

実はドイツに滞在した時の部屋
painted by Ms.Distel

小さな丸いテーブルはとても重宝してました。花や果物は朝市で購入。花瓶はホテルのオーナーにお借りしました。

毎朝のパンとコーヒー

毎朝のパンとコーヒー
painted by Ms.Distel

パンは籐のかごいっぱいに盛られていて、花も必ずテーブルに飾られていました。

イメージ作りがAI水彩画の基本

人生の豊かさは花やインテリアなどで美しさや安らぎを得ること。決してお金だけではない。
私にとっての豊かさは自分のイメージを具体的に描くこと。思う通りにはなかなか描けませんが、楽しみながら続けていこうと思ってます。

楽天でお買い物

人生の豊かさは楽天で。こんなものが欲しかったというものをぜひ見つけてくださいね。

🧑🏻‍❤️‍🧑🏼マイセンブルーオニオンスタイル ベース


🧑🏻‍❤️‍🧑🏼おしゃれ カーテン 花柄 ばら


🧑🏻‍❤️‍🧑🏼ウェッジウッド(英国製)ティーカップ&ソーサー


Copyright © 2025 painted by Ms.Distel. All Rights Reserved.

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キルケゴールの幸福?

ソクラテスやニーチェの次にキルケゴールを覚えたのは、あまりにハンサムな顔と42歳で亡くなったというその短命がとても印象的だったからです。

「死に至る病」はセーレン・キルケゴールが残した有名な言葉。最初にこの言葉を知った時、死に至る病とは「肺結核」のことで、彼はその病で亡くなったとばかり思っていた。

後で調べてみると、道路で倒れ、病名の記録はないようです。肺炎ではないかという推量もされてはいるが。

キルケゴールは頭は抜群にいい。しかし、性格に難ありだったようです。かなりの内向的な性格で今でいえば、ひきこもり的な生活をしていたようです。しかし、レギーヌという素敵な女性と恋をして、婚約までしました。しかし……

コペンハーゲン

結婚をしない決断

27歳頃に17歳のレギーヌに恋をして、プロポーズをし、さて、結婚というときになり、
僕には君を幸せにする資格がない。だって、僕は神に呪われた身だから
と婚約を一年も経たないうちに破棄してしまった。

「呪われた身」とは父親から受け継いだ遺言みたいな言葉。
貧乏で神を信じていた父が思わぬ大成功を収めて大金持ちになってしまった。だから、神に呪われていると父親は信じていた。

どうにも私には理解できないが、デンマークのコペンハーゲンで生まれ育ったキルケゴールは父親の言葉を信じていた。

キルケゴールが生きたのは、日本でいえば、江戸時代末期。その短い42年間でたくさんの著書を残して去った。

私はキリスト教を深く知らない。信者ではないし、キリスト教を深く探究したこともない。そもそも、神の存在を信じていない無神論者だから。

そんな私は、キルケゴールが美学的、倫理的、宗教的な三段階説を唱えた内容を、前の二つはなんとか理解しようと努力したが、三つ目の宗教的な分野が理解できなかった。

でも、前回のブログで書いた「宇宙や自然界でのコントロールできないことを神とした」というキルケゴールの考えの一端を知った時に、なんだ私と同じものを頭に抱えていたのだと悟った。

理想主義者で完璧主義、ロマンチストで、皮肉屋だったといわれるキルケゴール。

そんなキルケゴールは社会的な幸福ではなく、個人の視点から幸福を考えるべきだと主張した。

自分が幸せだっだら、それでいいじゃないか。他人から見たら不幸かもしれないが、本人が幸せだと思えば幸せ。それでいいのではないだろうか。

かなりの二枚目ですね。うらやましい!

実存主義の先駆者

その彼の考えは実存主義といわれる先駆け。

しかし、彼は美学的実存、倫理的実存で終わり、宗教的実存まで到達する前に亡くなってしまった。だが、その思想はサルトルなどに受け継がれて、多くの国々に広まっていった。

私の子供時代に父が教えてくれた幸福は、このキルケゴールの実存主義の一端だったのかもしれない。

◆あれとこれ。迷ったときは三つ目を考える。
◆利己主義ではなく個人主義。
◆人に頼らないで自立する生き方が大切。
◆個人の中にこそ真理が存在する。
◆他人がどうのではなく、自分がどうしたいのかが大切。

今回のブログはちょっと難しくなってしまいました。

でも、生まれた場所や環境によって、考え方や価値観が大きく
変わる世の中。何が正しくて、何が悪いのか?

ある日突然、社会の価値観がひっくり返ることもある。
その中で、どう生きていくか?
もちろん長期的な準備は大切だが、今ある目の前のことに、全力で向かい合うことが幸せへの道ではないだろうか?

「いつやるの?」

「今でしょう!」

後でゆっくりではなく、思い立ったらすぐ実行。
でも、そうはいっても、実行する前に少し周囲を見回して、何かリスクがあるかもしれないと注意するのも大切。

幸せ世界一の国

デンマークのコペンハーゲンがキルケゴールの故郷。
今、世界で幸福の国ランキング一位を獲得しているのは、キルケゴールの思想が生きているからだと思った。

外へ領土を増やすのではなく、国内を充実させることが重要。それが、国家の基本方針と政策決定してから今日まで、着実に歩み続けている。

デンマーク人の幸せとは?
一人一人の個人が主体的に自立して生きていくこと。

実際に、デンマークを旅して、それを知ることができた。
実はデンマークに行く前はキルケゴールがデンマーク人とは知らなかった。しかし、コペンハーゲンでキルケゴールに似た顔の男性に度々遭遇した。超ハンサムだと思っていた彼は、実はデンマークでは当たり前の顔だったようです。(www)

「死に至る病」は「この病は死ぬほどのものではない」という深い意味があった。この病とは絶望。死にたいけれど、死ぬこともできない病が絶望。キルケゴールの言葉です。

でも、私は絶望は自分を変えることで乗り越えることができると信じる。人間は不思議な動物。体や脳を動かしていると、なぜか希望や欲望が沸いてくる。

それこそ、絶望を吹き飛ばすことができる。

美味しいものを食べたい。絵を描きたい、音楽を聴きたい。本を読みたい、ゴルフがしたい、旅がしたい、テレビがみたい。

節約節約と欲を制限するのではなく、自分がやりたいことをする。
これこそ、まさにキルケゴールの実存主義。

幸せに生きるのは自分次第。
自分を主役にし、他者に優しくする。
他人を責めない、自分も責めない。
もちろん、反省するのはいいことですが、それは失敗したことに対しての反省であって、自分の価値を疑ってはダメ。

幸せとは

もし自分が生きることへの疑問を持った時に、考えてほしいことがある。
「10センチの深さの土を作るには100年の歳月がかかる」
ということを。
あって当たり前の土。でも、土は人間には作り出せない。その辺の公園や畑の土でさえ、貴重な存在である。
まして、人間は?
歯一本、育てることはできない。人間の指のようなロボットを作り出すのは至難の業。

幸せとは。 生きるとは何かを考えるときに、それだけを思うのではなく、周りの自然を見回してみるとこの世にコントロールできないものが沢山あることに気が付く。

これがキルケゴールが最終的に考えたい、実行したい倫理ではなかったのでは。

幸せとはコントロールできないことをとして敬う。
宗教とはそこに行きつくのではないかと私は思います。

といいながら、ツライことがあると神様仏様と唱え、幸せな時は、自分の力で獲得したものだと誇らしげに思う。

どうかみなさま、そんな私を寛大な心で見守ってください。

人間から欲を取り去ったら、生きる意欲までなくなってしまう。欲しいものは買いましょう!


ぼくはおいしいキャットフードが食べたいよ


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上野東照宮牡丹苑の冬牡丹

徳川家康公を御祭神

上野東照宮牡丹苑は、徳川家康公を御祭神とする上野東照宮の敷地内に、1980年4月、日中友好を記念し開苑されたものです。1/1〜2/下旬の冬牡丹と4/上〜5/上の春牡丹の年2回開苑されます。

今回は豪華な色彩を放つ冬牡丹の写真を掲載致します。

牡丹の花は豪華なので、中国では花王として愛されています。牡丹は中国の国花とされていた時代もあり、詩歌に詠まれたり、絵画に描かれ、愛でられて来ています。

「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」 これは美人を形容する言葉ですが、実は漢方薬の世界で生薬の用い方の例えだったようで、昔は特に女性は静坐する機会が多く、下半身に血行障害が起こった場合牡丹の根の部分を飲用する事により血行が改善されるそうです。

上野東照宮牡丹苑

写真術:花の上手な撮り方

Mr.Soutan:花を上手にとる3つのコツ

構図:視点の工夫が上手の一歩
光:自然光で撮影するのが最適
カメラ:絞りを広く設定し、背景をぼかす

構図:視点の工夫が上手の一歩

豪華な色彩の冬牡丹

淡い黄色は光の色。白との差がないので難しい。

主役真正面から勝負!
ボタンをさらに美しく!

中心部をバッチリ撮影

重なりや花びらのソフト感が表現できる。

黄色い牡丹:中心部をバッチリ撮影

ピントをやや手前に合わせる

花の揺らぎが伝わり、華やかな雰囲気を自然に表現できる。

ハイヌーン:ピントをやや手前に合わせる

花の中心や花びらの動きを意識する

幾重にも広がる八重の花びらの重なりの美しさが撮れる。

八重の牡丹:花の中心や花びらの動きを意識する

見上げる視点(3点透視図法)

設計図で使う3点透視図法。難しく考えない。
腰を下げる姿勢、あるいは寝転んで撮るという自分の体の位置を上下することで可能です。

花言葉「ひたむきな愛」が似合いそうな愛らしい一輪。

赤い牡丹:見上げる視点(3点透視図法)

中心をちょっと右上に移動し、花びらの光と影を演出

豪華な赤い牡丹:見上げる視点(3点透視図法)

光:自然光で撮影するのが最適

花びらの光を表現する

午前中の光が最適。花びらが光を反射している雰囲気を撮りたいときは逆光もOK。

降り注ぐ日差しに透けるような軽やかな花びら。

ピンクの八重牡丹:花びらの光を表現する

「白鳥の湖」の4人の踊り子を思い出す

遠近感、動線、ムーブメントが表現できた一枚。

ピンクの牡丹4個:「白鳥の湖」の4人の踊り子を思い出す

牡丹を寒さから守る「わらぼっち」

長い間、公家や武家屋敷で大切に育てられた高貴な花。

牡丹を寒さから守る「わらぼっち」

清楚な牡丹を守るのは当たり前

今は庶民の間に広まっている牡丹。でもわらぼっちで守るのは昔通り。

白い牡丹:清楚な牡丹を守るのは当たり前

世界中の人々に愛される理由

その美しさは世界中の人々を魅了し、感動した人がさらに品種改良でパワーアップさせ、美の頂点を目指しているから。

変化を続ける牡丹:世界中の人々に愛される理由

花の形は一重、八重、千重、万重

松江の大根島の牡丹生産は日本一。始めは島の女性たちの行商で全国に普及。今では世界へ年間60万本を輸出する牡丹島。

愛らしい牡丹:花の形は一重、八重、千重、万重

カメラ:絞りを広く設定し、背景をぼかす

背景ぼかすことで、赤い牡丹をさらに王者の風格に仕上げます。花の写真の醍醐味。

赤色牡丹は王者の風格

主役を引き立たせるには周囲をぼかす。これは王道。
王者の牡丹を王道で撮影。(笑)

赤い牡丹:カメラ:絞りを広く設定し、背景をぼかす。主役を引き立たせるには周囲をぼかす。これは王道

白い牡丹は高貴あるいは誠実

白い牡丹。背景をぼかすことで奥行きのある陰影を強調。

白い牡丹は高貴あるいは誠実

紫色の牡丹の花言葉

紫色のシコンノボタン(紫紺野牡丹)だけには「ひたむきな愛情」「謙虚な輝き」「平静」などの花言葉がある。
ブラジル産のこの紫色の牡丹は毎日休むことなく咲くためにこれらの花言葉が生まれたようです。

紫色のシコンノボタン(紫紺野牡丹)だけには「ひたむきな愛情」「謙虚な輝き」「平静」などの花言葉

侍タイムスリッパーは江戸時代から現代へ

日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した侍タイムスリッパーより、はるかに時空を超えて広まった牡丹。その美しさはこれからも人々を幸せにする価値ある存在。

牡丹タイムスリッパー?

牡丹は中国の国花?

日本では、桜や菊が富士山と並んで日本の象徴になっているが、法律で定まった国花はない。同じく、中国でもまだ定まっていない。梅にしようか?蘭にしようか?それとも牡丹?

悩んではいるものの、国民の多くは牡丹が大好きで、ぜひ国花にしてほしいと願っているらしい。

ちなみにアメリカやイギリスはバラ、韓国はムクゲ、スペインはカーネーション。赤いカーネーションは母の愛を表現している。

牡丹は空海の土産?

以前、熊野古道から高野山に登った時に、一番驚いたのは観光客の多さだっだが、つぎにあちこちに咲き誇る牡丹の美しさだった。お札売り場の若い巫女さんにその美しさを称賛すると、
「300種類、600株以上あるんですよ」と即答してくれた。
「だってね」横から口を挟んだ年増の巫女さん、
「お大師様が唐からお持ち帰りになったんだもの」

まさかと思いながら、その場は去ったものの、その言葉がずっと心に残っていた。
空海は長安をイメージして高野山を築いた。だったら、長安の王宮の豪華なボタンを再現しても当たり前。
司馬遼太郎氏は空海を詩情・造形・色彩のある男と『空海の風景』の中で称している。

奈良時代か平安時代に渡来したといわれる牡丹。
天才的な空海が運んでくれたと想像するだけで楽しくなりませんか。信じるも信じないのもあなた次第。

でも、空海説はともかく、牡丹を愛し、育てる人々は世界中に幸せを分け与えているはずです。

黄色い牡丹はどこの国から?

フランス生まれの金閣とは?

フランスでは牡丹のことを「ピボワンヌ」(pivoine)という。
1919年にフランスで生まれた黄色い牡丹。日本で販売されるときは「金」を名前の頭につけることが多い。
例えば、金閣や金鵄(きんし)といった名前で、黄金のようなイメージを強調している。

米国生まれのハイヌーンとは?

アメリカでも近年改良が加えられ、それまで存在しなかった独自の黄色い牡丹を作り出し、成功を収めたのがハイヌーン。
ハイヌーンには正午とか、真昼間とかの意味があるが、確かに光が最高点になる色にも似ている。映画「真昼の決闘」もアメリカではそんな名前だったような記憶がある。

牡丹には色別の花言葉がない

牡丹の花言葉は、「富貴」「高貴」「壮麗」「王者の風格」「恥じらい」「誠実」「思いやり」などがある。他の花と違って、色別での花言葉はないそうです。

でも一つだけ例外が紫の牡丹。紫色のシコンノボタンには「ひたむきな愛情」(毎日咲く姿のイメージからの花言葉)

牡丹タイムスリッパー

2000年前、中国大陸の草原でひっそり美しく咲いていた牡丹の花。その後、時と空間をスリップ。日本やシルクロードを経て、ヨーロッパで見事に開花。さらにアメリカ人でさえ、その魅力に惹かれて、まさかの黄色い牡丹まで改良し、世界に発表した。
今なお、時空を超えて開花する牡丹タイムスリッパーは人々を永遠に魅了している。

「空海の風景」で司馬遼太郎が「空海が苦難の旅を経てたどり着いた寺院の庭に咲き誇っていたのは牡丹の花々」と書いていた。
その文章を読んだ時に、もし空海なら、牡丹の美しさはもちろんだが、その薬効に気がつかないはずはない。必ず根っこを持ち帰って、お寺の庭に植えたはずと思った。
空海は身体にいいものを見つけ、仏教の布教の助けにしたはず。各地に残る温泉発掘のポイントは空海の伝説が数多く残っている。牡丹もそのひとつではなかっただろうか?

タイムスリッパー。牡丹も時と空間を超えて世界中へと羽ばたいたが、空海の教えも今なお人々の心をしっかりつかんで離さない。高野山を訪問した時、戦国武将として戦った人々の墓が隣同士に並んでいた。あの世では仲良く暮らしているに違いない。

高野山には思想や権威を通り越した先の未来の世界があると感じた。もしかすると空海こそがタイムスリッパーだったのかも。

写真は楽しみを生み出す

写真術は撮影スキルだけでなく、様々な想いを広げることで楽しみが生まれる。ゆとりを持って、シャッターを押すときも慌てないことが大切。

美しい牡丹を育てるのは至難の技。でも苗からならできるかも。そんなあなたにお勧めです。

苗木:赤い牡丹「太陽」

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苗木:黄色い牡丹「黄冠」

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牡丹(黄冠)
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書籍:造園実務必携/藤井英二郎


毎月1日と15日に更新予定。お楽しみニャン!

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ラインスタンプを作る

ゆきやんがラインスタンプを作成しました。作成方法をシンプルにまとめてみました。

🏋️‍♂️スマホで簡単作成法

😸LINEスタンプメーカーアプリを使用する手順

●LINEスタンプメーカーアプリをダウンロード(無料)
ラインスタンプメーカーで検索し、ダウンロードする。

●アプリを起動してスタンプを作成する
使い方など詳細に記載されています。https://creator.line.me

●LINEアカウントでログインする

●スタンプの審査リクエストする

●審査で承認されると販売できる

😸LINE クリエイターズマーケット活用法
1) LINEアカウントで登録する
2)スタンプに使用する画像やイラスト、テキストを入力する(8個、16個、24個、32個、40個がワンパッケージにしたセットでの申請)
3)審査をリクエストする
4)審査に合格すると販売価格を設定し、リリースボタンで販売を開始する

🌸LINE Creators Studioアプリ
https://creator.line.me/ja/studio/

👩‍🎨ペイントソフトを使用する手順

AIやペイントソフト活用する

●ペイントソフトの種類

PNGファイルを読み込み、保存できるペイントソフトでイラストを作成する。
ChatDPTも2024年9月から画像制作も可能になりました。ただし、無料トライアルでは2枚限定です。それ以上の使用は毎月有料となります(現在20ドル)

その他の代表的なお絵描きアプリ
Adobe Photoshop CC
CLIP STUDIO PAINT(クリスタ)
GIMP

●キャンバスサイズ
W 370 × H 320px(最大)
寸法の数値は必ず偶数
72dpi以上 カラーモードはRGB
イラストなどの背景は透過。
画像の端とコンテンツの間には10px程度の余白が必要
タイトルは数字。例 01 02 03 04~40

メイン画像(main.png)

メイン画像はスタンプがストアに並んだ際に表示される画像
サイズは幅(W)240 × 高さ(H)240px

トークルームタブ画像(tab.png)

トークルームタブ画像はスタンプを選ぶ時にアイコンとして表示される画像。
サイズは幅(W)96 × 高さ(H)74px

ZIPで圧縮して送る

望みの画像制作ができたならば、透過PNGデータで書き出します。ワンセットが完成したらZIPで圧縮します。

LINEスタンプは日常会話やコミュニケーションに最適、かつシンプルでわかりやすいデザインが喜ばれます。

画像は解像度は72dpi以上、カラーモードはRGB
キャンバス余白は10px、
複数の画像を1セットで申請します。

その他、詳細はライン制作ガイドラインに記載されています。

ライン制作ガイドライン

制作したラインスタンプアドレス&購入サイト

https://store.line.me/stickershop/product/30010486/ja

一度作成して体験してください。
stamp作りはすごく楽しいです。

今年の父の日は6月15日。ぜひこのチャンスを生かし、お礼の心を形でしませんか。

💑愛と感謝をこめて!


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WordPressスライドショー作り方

WordPressシンプルスライドショー作成方法

テーマに頼らないで設置できる。
Logo Carouselは便利なプラグイン
★操作や設定がシンプルですぐに動かせる。

★テーマに頼らないで設置できる。

①スライドさせたい画像を準備する。(縦横サイズを統一すると見栄えが良くなる)

②WordPressのダッシュボードの左側の設定画面、
ブロック検索で「Carousel Slider」と入力する。

③Carousel Slider [Logo Carousel] が表示されるのでそれを選択する。

⑤下記の画面が作成キャンバスに表示されたら画像を一個一個選択し、挿入する。

⑥画像をアップロードする。4枚から6枚が理想。3枚では動かない。サイズは前もって統一しておく。

⑦画像を追加する方法は、右側にのアイコンが出てくるのでそれをクリックするとアップロードの画面が出てくる。

⑧右側の設定ブロックで下記のように設定する。作成したサンプルを下に表示します。

⑨Carousel Sliderで作成した6枚のスライドショー。

⑩Carouselとは回転木馬の意味。ぐるぐる回転していることから名付けられた。スライドショーとほぼ同じ意味。

他にもテーマによっては、独自にスライドショーを作成できますが、私が一番シンプルで簡単に設置できるとお勧めするのがこの新しいプラグイン「Logo Carousel」です。
以前、素晴らしいスライドショーを作成したことがありますが、それはスマホには対応できず、削除してしまいました。
軽くて、シンプルなこの最先端のプラグインをお勧めします。

お勧めプラグイン「Logo Carousel」
ぜひご活用ください。

宣伝担当部長Ms.Kumiyです。この素晴らしいのギフトショップであなたの愛する人々に素敵な贈り物をしてみませんか💕

💑日頃の愛と感謝をこめて!


💑尊敬と感謝をこめて!


💑疲れをとるためにいかがですか。


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AI画像:オランダ生旅

オランダは日本の歴史に度々登場し、親近感のある国。ところが、ヨーロッパに滞在した時に、そんな国はないといわれた。ベネルクス三国を学んだ時に、確かにベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3か国と書いて、テストでも合格したはず。しかし、よく見ると頭文字をとって名付けたというベネルクスの中にオランダはない。「BE_NE_LUX」 ベルギーのBE、ルクセンブルクのUX、では真ん中のNEは何者? 
答え:Netherlands (ネーデルランド)のNE
日本の常識は世界では通用しなかった。
英語が世界共通言語になっている現在、もし、外国へ行くときは、英語での国名を知っておくことは大切です。
しかし、ここではなじみの深いオランダを使用します。


オランダと日本の交流

日本とオランダは飛行機で約12時間の距離, 時差は8時間。

🎨水車とチューリップが見事な調和。

水車とチューリップが見事なハーモニー。

オランダは、1568年頃から国家の独立を志した時、主にホランド州を中心としていたので、それが日本に伝わり、発音が変化して、オランダと呼ばれるようになったらしい。1568年といえば、日本では織田信長が元気に活躍していた時代。

オランダと日本の交流は、1600年に漂流したリーフデ号が始まり。徳川家康の鶴の一声で平戸に商館が開設され、1641年、長崎の出島での貿易交流が始まった。それは約400年間、平和的に継続した。すごいことです。日本はオランダからヨーロッパの動きを知ることができた。ヨーロッパもオランダから日本の文化や日本に関する情報を得ることができた。日本は鎖国をしていたわけではないといえるのではないだろうか。

1648年に正式に独立を勝ち取った時の名称はネーデルランド連邦共和国。オランダという名の国は存在していなかったが、独立の中心となった州の名前を日本はそのまま使用していた。その後約370年以上もの間、疑問も持たずに使用している。不思議な国ニッポンです。
例えば、ドイツ。英語ではジャーマニー(Germany)。
イギリスはイングランド(England)
外国側からでも同じこと。日本をヤパン、ヤポン、ジャパン。
いろんな風に呼ぶ。韓国、中国、ロシア。カタカナでの表記でも、英語とはかなり異なる。世の中、矛盾していることはあまりに多い。考えすぎると頭が変になってしまいます。

というわけで、オランダで統一することにしました。

アムステルダム駅と東京駅

アムステルダム駅は1889年に開業、東京駅は1914年開業。とすると、このそっくりなレンガ造りの駅は? 
辰野金吾氏が設計した東京駅。アムステルダム駅を模倣したのではという疑惑が私の心に浮上しました。

しかし、資料として参考にしたかどうかは不明。というのも、辰野金吾氏設計の東京駅は基本的にルネサンス様式、一方、ピエール・コイペレス氏の設計はネオゴシック様式。東京駅のあのドーム型の天井はアムステルダム駅にはない。内部をあちこち見て回ったが、東京駅とは全く異なる。

しかし、外に出て運河の反対側から全体をみるとやはりアムステルダム駅の荘厳さに圧倒された。世界中から観光客が押し寄せて写真を撮っている。様々な言語が交差している。

そんな中を地元民は颯爽と自転車を駅まで走らせている。

 「人は歩いてはいけません!」
アムステルダム駅の全体写真を撮ろうと、運河横の自転車通路を歩いていると、パトロール中のおまわりさんに注意されてしまいました。日本のように歩行者に甘いルールは全くないのが、欧米流です。

運河の街

アムステルダムの運河

オランダの運河は16世紀から17世紀にかけて築かれ、物流や、観光、特に水量の管理に非常に役立っている。

しかし、運河沿いに古い建物が並んでいる光景を見た時、地震や洪水の時はどうなるのだろうと疑問を持った。

地震対策万全

国全体に地震が少なく、1991年に2.4のマグニチュードの地震があった時には人々はびっくり!2018年にも3.4の大地震があり、家屋が被害を受けたというニュースを流れていた。
しかし、その原因が判明。天然ガスの採掘が地殻変動を起こし、地盤を揺るがしたという説。結果、天然ガスをあまり使わないように政府も本腰をいれたようです。

洪水対策

1953年に大規模な洪水が起こり、かなりの損害をうけたことから「デルタ計画」を策定実行し、なんとか国土を守っている。
運河の管理は地球温暖化による水量の増加なども含めて、重要な課題が山積みです。

🎨アムステルダム駅

アムステルダム駅

🎨運河沿いのカラフルな建物

運河沿いのカラフルな建物

🎨運河のあるホテルの裏口

🎨運河のあるホテルの裏口

水がある風景は心を豊かにしてくれます。

アンネ・フランクの像

🎨アンネの日記の作者、アンネ・フランクの像とアパート

アンネの日記の作者、アンネ・フランクの像とアパート

アパートの隠れ部屋で生活し、見つかってしまったアンネ。
日記を何度も読み返しました。戦争の痛みを忘れてはいけない。

水車のお仕事

海抜より低い土地がほとんど

オランダは陸地のほとんどが海抜200メートル以下。これまで地震はなくても、暴風雨による高潮や洪水の被害を何度となく経験してきた。そのため、堤防や水門などの水害対策を重視。

オランダの水車は水を汲み上げたり、排水したり、低い土地ならではの管理をしている。しかも、製粉や脱穀、油絞りまで利用。
日本の公園の飾り物の水車とは異なり、働き者です。

🎨キンデルダイクの小さな村の水車

キンデルダイクの小さな村の水車

水車は水の管理を引き受けている。

オランダのチューリップ

キューケンホフ公園

🎨ホテルの窓辺の黄色いチューリップ

ホテルの窓辺の黄色いチューリップ

🎨キューケンホフ公園と桜並木

キューケンホフ公園と桜並木

チューリップ公園。桜、菜の花など、春の花がお友達。

🎨キューケンホフ公園の白樺

キューケンホフ公園の白樺

白樺が自由にのびのびと存在感を出しています。

午後のテータイム

🎨デン・ハーグのおしゃれな喫茶店 スコーンが美味しい!

デン・ハーグのおしゃれな喫茶店 スコーンが美味しい!

街全体が落ち着いた雰囲気。アムステルダムやロッテルダムにはない静かな都会。
街の雰囲気ですが、アムステルダムは古き建物がよく保存されている。ロッテルダムは新しい街づくりが推進されている。
そしてデン・ハーグはアートの街作り。なんといっても美術館。
マウリッツハイス美術館。レンブラントとフェルメール「真珠の耳飾りの少女」に出会うことができます。

オランダでは、運河、チューリップ、街並みなど、いろんな素晴らしい出会いに感動。絵を描く楽しみをオランダでさらに見つけることができました。オランダ大好き💗 Ms. Distel

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オランダを旅すると素敵な風景の他にお土産もいっぱい。でも楽天でもご購入できます。ぜひお買い求めくださいね。

🌷原種系チューリップ


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