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日本の美:花菖蒲を撮影

江戸文化が花菖蒲を育てる

色彩の魔術師ともいわれる花菖蒲。優美な花形が魅力的だ。日本の野山のあちこちに自生していたノハナショウブが原種。江戸時代中期から育成が盛んになり、現代へと受け継がれてきた。  

江戸時代後期、旗本の松平定朝(菖翁)は武士というより、園芸家。人生84年間を花菖蒲の育成、改良に費やした。

余談を一つ。彼の父親松平定寅は鬼平犯科帳の長谷川平蔵の4歳年上、二人は職務上の確執があったと歴史書に残されている。

定寅もまた花菖蒲を愛し、武士としての評判は悪いが、花菖蒲の育成を息子に託したのは称賛できる。園芸は茶道や和歌と同様、当時の武士や公家の教養の一つだった。

明治時代になってから、天皇が、愛する皇后のために自ら設計し、作り上げた明治神宮の菖蒲園。皇后がゆっくり散歩できるようにとの配慮深い設計で築かれ、令和の今も大切に守り育てられている。

明治神宮の菖蒲園:遊歩庭園

明治神宮の菖蒲園:散歩用の小道を設ける。遊歩庭園作り
photo by Mr.Soutan

☘️明治神宮の花菖蒲園では江戸系花菖蒲、菖翁花(松平定朝が改良)が大切に守られ、育てられている。

Mr.Soutanの写真術:3つのコツ

①視点を横や上へ移動して撮る

②花びらの色、形、しわなど陰影に注意

③一番美しいと感動した花を撮る

浮世絵の花菖蒲:広重&国英

歌川広重の遠近感のある花菖蒲

歌川広重の遠近感のある花菖蒲

1857年 歌川広重「名所江戸百景 堀切の花菖蒲」

現在の葛飾区堀切周辺には広大な花菖蒲園があった。
横から描いている。視点の工夫でより遠近感を演出している。

歌川国英の背景効果の花菖蒲

歌川国英の背景効果の花菖蒲

1853年 歌川国英「名所木母寺 堀切花菖蒲」

美人画の背景に花菖蒲。
美人をより美しくする効果をすでに確立していた。

視点を横や上へ移動して撮る

☘️広重のすごさは視点の移動。花菖蒲をどんな視点から描くのがより美しいかを探究。その考えはおそらく蔦谷重三郎がアドバイスしていたに違いない。

広重は花菖蒲を横から捉え、しかも遠くに花菖蒲を描くことで、堀切の花菖蒲園の広さをアピールしている。宣伝用として効果抜群。庶民をワクワクさせる原動力になった浮世絵。

世界に自慢できる日本の花菖蒲

広重の浮世絵:モデルの花菖蒲

真横から見て写真を撮るのも正攻法

世界に自慢できる日本の花菖蒲
広重の浮世絵:モデルの花菖蒲
photo by Mr.Soutan

上から眺めて美しく見えるように品種改良

上から眺めて美しく見えるように品種改良
photo by Mr.Soutan

松平定朝(菖翁)

江戸幕府の旗本が花菖蒲の親

松平定朝は江戸後期、花菖蒲を84歳で亡くなるまで、品種改良を繰り返し、200種以上の花を生み出した園芸家。
江戸時代の身分の高い武士や公家階級の人々は園芸を茶道と同じように愛していた。そのブームは江戸時代、庶民にまで広がった。旗本である松平定朝の品種は大評判。彼の邸宅には多くの人が押しかけて、門前で市まで開かれるようになったそうです。

彼のゆかりの地、伊予国松山から届いた陸奥安積沼の品種花且美(はなかつみ)の実から、品種改良をさらに続け、花の色、形の変化の美にのめりこんでいった。

それは京都町奉行になった時も続いた。花菖蒲を江戸から運び、育成し、なんと天皇に献上さえした。

江戸から京都へ花菖蒲を往復させた。宅配便も車もない時代、何日もかけて、どうやって運んだのか? 松平定朝にタイムスリップして教えてもらいたい。

隠居は彼にとってはすこぶる幸せ。職を辞してからの彼は花菖蒲にすべてを注ぎ込み、200種以上の品種を生み出した。さらに彼は著書「花菖培養録」を残し、花菖蒲の育成を後進に託した。

花菖蒲は外側の花びらに黄色の筋

☘️真上から撮影するとめしべおしべがよく見える

真上から撮影するとめしべやおしべがよく見える
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☘️江戸時代の人々は花菖蒲を上から鑑賞していた。

花形には、三英咲き(3枚の弁が大きく目立つ)、六英咲き(6枚の弁)、八重咲き(幾重にも重なる)がある。

六英咲き(6枚の弁)

六英咲き(6枚の弁)
photo by Mr.Soutan

☘️背景をぼかし白みがかった花びらを美しく撮る。

背景をぼかし、白みがかった花びらを美しく撮る。
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☘️花びらの形は優美という花言葉そのもの。

三英咲き:3枚の弁が大きく目立つ

三英咲き:3枚の弁が大きく目立つ
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網目模様の流れと色の濃淡を撮る

網目模様の流れと色の濃淡を撮る
photo by Mr.Soutan

八重咲き(幾重にも重なる)

八重咲き(幾重にも重なる)
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☘️欧州原産、明治時代に伝わり野生化した「キショウブ」を品種改良し、磨き上げた個性的な黄色い花菖蒲。

花びらの形、しわなど陰影に注意
photo by Mr.Soutan

上向きに広がった受け咲きの特徴を撮る

花びらの形、しわなど陰影に注意
photo by Mr.Soutan

どんな花形も個性とみなす寛大なる花菖蒲の世界。写真を撮る側としてはその多様さに感謝。花びらの陰影を撮るスキルアップの練習ができる。

一番美しい感動した花を撮る

☘️これは松平定朝(菖翁)が花菖蒲の品種改良を続けた理由と似ている。彼は美しい花菖蒲「宇宙」を最高の美とした。

☘️写真も自分が一番美しいと感動したモチーフにスポットを当てて撮る。これこそ、良い写真を撮るモチベーションになる。

江戸系ヒストリー

江戸・堀切の花菖蒲園

江戸時代後期、松平定朝(菖翁)が生涯をかけて品種改良を繰り返し、200種以上の花を生み出した江戸系の花菖蒲。菖翁から花菖蒲の株を分譲された万年禄三郎や、小高伊左衛門を通して、さらに品種改良が行われ、変化のある品種が次々生まれた。

☘️江戸・堀切周辺(現在の葛飾区堀切一帯)に花菖蒲園が造成され、様々な品種群が育成、栽培されていった。

☘️明治神宮の菖蒲園にも江戸系花菖蒲の中でも由緒ある品種が大切に受け継がれている。

江戸系の花菖蒲は茎が剛直で庭植え可能

江戸系の花菖蒲は茎が剛直で庭植えできる。
photo by Mr.Soutan

きりりとした江戸時代の芸者さん?

きりりとした江戸時代の芸者さん
photo by Mr.Soutan

花菖蒲の蜜はさぞ美味しいでしょう!

花菖蒲の蜜はさぞ美味しいでしょう!
photo by Mr.Soutan

花菖蒲のような大輪の花はスマホできれいに撮れますよ。ぜひ試してください!

肥後系ヒストリー

肥後系(菖翁との約束は門外不出)

肥後熊本藩の細川斉護が松平定朝(菖翁)に何度も譲って欲しいと頼んでも断られ、奥の手を使った。自分の部下である藩士を弟子入りさせ、菖翁の手足にさせた。その弟子の誠意に感銘した松平定朝(菖翁)は門外不出を条件に自慢の花菖蒲を譲った。その品種が肥後六花となって今日に受け継がれている。

☘️門外不出なのになぜか県外へ。大正時代に守る会の会員が外へ持ち出してしまった。今はしっかり守られているそうです。

見る人を感動させる肥後の花菖蒲

見る人を感動させる肥後の花菖蒲
photo by Mr.Soutan

肥後系は六英咲き(6枚の弁)が多い

肥後系は六英咲き(6枚の弁)が多い
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美しい大輪を咲かせる室内鑑賞用花菖蒲。堂々としているが、実は雨風に弱い。

美しい大輪を咲かせる室内鑑賞用花菖蒲。堂々としているが、実は雨風に弱い。
photo by Mr.Soutan

伊勢系ヒストリー

伊勢花菖蒲は身近で撮影できる

江戸時代の後期、三重県の松阪地方で作り伝えられてきた系統。この系統は少数の人々の間で伝えられていた。
しかし、三重大学の冨野耕治博士の努力により、一般に知られるようになった。
この伊勢系花菖蒲は現在、松阪市の松阪三珍花会が保存に努めている。垂れ咲きの三英花が特徴。

女性的で柔らかい形状

女性的で柔らかい形状
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三重県がお勧めする伊勢花菖蒲

三重県のご推薦の花菖蒲
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鉢植え栽培に適している

☘️花と葉の背丈が低く、ほぼ一緒なので、鉢にまとめやすい。自宅で育てられるし、写真もスマホで手軽に撮れる。

鉢植え栽培に適している
photo by Mr.Soutan

様々な種類がある花菖蒲。日本全国にある菖蒲園を回るだけでも一生かかりそう。また、花菖蒲を丹念に育てる人々に心から感謝します。

観光名所

花菖蒲の風景に、点景として、人や船を入れると臨場感が出て思い出に残りやすい。

☘️5月から6月は日本全国で花菖蒲が開花します。

全国で有名な花菖蒲園

🔵岩手県平泉の世界遺産「毛越寺」300種、3万株の花菖蒲
🔵北海道厚岸(あっけし)約30万株のヒオウギアヤメ
🔵小田原城の花菖蒲はアジサイと一緒に城内を彩る

☘️平泉の世界遺産:毛越寺(もうつうじ)
広大な庭園の毛越寺にある美しい大泉が池周辺のあやめ園に300種、3万株の花菖蒲が咲き誇っているのを見た時は、言葉も出ないぐらい感動した。

☘️小田原城の花菖蒲園からはお城が見え、夜のライトアップも見事です。一度は行ってみる価値があるはず。

千葉県にある花菖蒲園

🔵香取市の水郷佐原あやめパーク
🔵佐倉市の佐倉城址公園
🔵袖ケ浦市の袖ケ浦公園
🔵市原市のいちはらクオードの森

佐原水生植物園の花菖蒲

千葉県に素敵な花菖蒲園がある理由とは?

千葉県には水郷や歴史的な場所、公園など、いろんな所で美しい花菖蒲を楽しめる。
その理由は歴史的な場所や公園に菖蒲田があり、水郷や緑豊かな環境を県や自治体が誇りを持って、独自に整備しているから。

江戸時代からの水路を生かす

水路を生かした伝統行事。前景に花菖蒲の群落、江戸時代を演出した衣装を着て、祭囃子を演奏しながら船を進める。
この瞬間を撮りたくて、カメラを構えじっと待っていたのだ。
さあ シャッターチャンス!

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緑豊かな環境で守られている花菖蒲園

緑豊かな環境の中で守られている花菖蒲園
photo by Mr.Soutan

花菖蒲は品種改良の結果、約2000種以上もあり、厳格にはどの系列化を断定するのは困難。このブログの写真のコメントも100%正確と言い切れない。

専門家の皆様もあまりに品種が増え過ぎ、名称、系列などが混乱するという弊害に気づき、原点に戻す努力をされている。

花菖蒲は基本的に花弁のつけ根が黄色で、アヤメのような網目模様はなく、葉幅は狭く、葉脈がはっきりと隆起している。
三英咲き(さんえいざき)と呼ばれる3枚の弁が目立つものと、6枚の弁が広がる六英咲き(ろくえいざき)、そして八重咲きなどがあり、品種の育成地によって、江戸系伊勢系肥後系の3タイプに大別される。

しかし、これらの交配した花菖蒲が多数あるのでプロでも正確に分けることは難しい。

細かいことはさておき、おおらかに写真を楽しんでください。

毎月1日と15日に更新。お楽しみに!

花菖蒲って奥が深いですね。お殿様も愛したという花菖蒲。ぜひ見に行きたい。ゆとりのある方、ご自宅でも育ててみませんか。

💑おまかせ花菖蒲 3号( 5ポット)


💑花菖蒲 潮流(チョウリュウ)江戸系


💑花ギフト:男の子 花しょうぶ鉢植え


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6月の尾瀬の美を撮る

「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空」名曲「夏の思い出」は、1949年にラジオ番組で放送された。その後「尾瀬ってどこ?」「水芭蕉ってなに?」の尾瀬ブームが始まった。

尾瀬は日本列島のほぼ中央に位置し、福島県・栃木県・群馬県・新潟県の4県にまたがり、東京ドーム約8,000個分の広さ。
尾瀬ヶ原の標高が1,400m。尾瀬沼が標高1,660m。
周囲には燧ヶ岳(ひうちがたけ)、至仏山(しぶつさん)、会津駒ヶ岳、田代山、平ヶ岳など、さまざまな山があり、そこから流れる水が水芭蕉を生育している。

尾瀬の魅力は湿原の美しさ、高山植物、湖沼などの自然環境、そして学術的価値の高さが挙げられる。

そんな魅力あふれる尾瀬にカメラを担いで登る途中で、若い女の子たちが苦しそうな呼吸で話しているのを耳にした。
「テレビでは広々とした湿地帯を人々が歩いているだけ、しかも平坦な木道を。ちがうじゃん」

尾瀬ヶ原が1,400mの標高とはテレビでは放映していない。平坦な湿地帯を、のんびり歩く姿だけを映像で見ただけの彼女たちはとにかく軽装。認知度が上がったのはいいけど、大切な自然を守る意識がどこまであるのか心配になった。

まあ、それはともかく、重いカメラを持ってきた目的は山々と湿原の風景、そして水芭蕉を撮影するぞと意識を集中させた。

可憐な水芭蕉には誰もが魅了される

水芭蕉の咲く尾瀬を撮影

山や水芭蕉を撮る3つのコツ

Mr.Soutanの写真術:山や水芭蕉を撮る3つのコツ

①風景写真では地平線の位置が大切

②白い花を撮る時はホワイトバランス調整

③水芭蕉を下から撮るので下半身を鍛える

尾瀬の山々

至仏山と燧ケ岳

至仏山(しぶつさん)

①風景写真では地平線の位置が大切

雪化粧がまだ残る標高2,228m 至仏山(花の宝庫)

地平線をどこにとるかは構図の基本。山が主役なら地平線を三分割の一番下の部分にして撮る。

至仏山(しぶつさん)

至仏山から海底の古生物「ウミユリ」の化石が発掘された。 山の鼻ビジターセンターにウミユリの化石が展示してある。興味のある方はぜひ立ち寄って、ご覧ください。

燧ケ岳(ひうちがたけ)

尾瀬ヶ原と尾瀬沼の産みの母?

燧ヶ岳(ひうちがたけ)標高2,356m
福島県の最高峰。数万年前に燧ケ岳の噴火により只見川や沼尻川がせき止められて、尾瀬ヶ原と尾瀬沼が誕生した。

そびえ立つ燧ケ岳

聳え立つ燧ケ岳

なぜ木道がある?

木道は、ぬかるんだ湿原を歩きやすくするために設置された。また、湿原を保護するためにも木道が整備されている。

水芭蕉の群生と燧ケ岳

左側に木道、右側に水芭蕉、その先に白樺や雑木林。遠方に燧ケ岳。風景の中で大切な遠近感を表現するには木道が重要な役目を持っている。奥に行くにつれて細くなる木道。それが山へと向かっている。この構図を得た瞬間、重いカメラが急に軽くなった。

水芭蕉の群生と燧ケ岳

水芭蕉の思い出

水芭蕉の英名は?

こんなに日本では愛され親しまれている水芭蕉。英語に訳すると「white skunk cabbage」(白いスカンクのキャベツ)

水芭蕉が白いスカンクとは何ごと?

アメリカで見た時の水芭蕉は黄色だった。しかも強烈な悪臭。クロユリを思い出して、慌てて鼻を遠ざけた。でも、日本の水芭蕉はほんのり甘い香りがする。世界に水芭蕉はこの二種類といわれても、納得できない自分がいた。確かに形は似ているが。

ちなみに水芭蕉の花言葉は葉に包まれて咲く姿にどこか懐かしさと美しさを感じることから「変わらぬ美しさ」。これは同感。

写真で水芭蕉をご案内

主役が水芭蕉。構図の80%を使う。

写真で尾瀬の水芭蕉をご案内

水芭蕉が群生で咲く理由?

水芭蕉は種を水の流れで運ぶので、川沿いに沿って芽を出す。だから、清流の流れる尾瀬は最適な環境。

水芭蕉が群生で咲く理由?

子孫繫栄は尾瀬の清流のおかげです。

ヒグマの大好物は水芭蕉の根っこ

ヒグマは冬眠する前に水芭蕉の根っこを食べて毒素を排出してから、クマザサを食べ、体内を浄化させてから冬眠。目が覚めると美しい花を咲かせる水芭蕉を愛でる。
「秋になったら、食べてやるぞ! 美味しくなれ!」
ヒグマが思っているかどうかは知らないが。

ヒグマの大好物は水芭蕉の根っこ

水芭蕉の魅力

清流が水芭蕉を育てる

「おぜ」とは「尾瀬」あるいは「生瀬」。「浅い水湖中に草木の生えた状態」つまり湿原の意味。
この湿原は6000~7000年もの長い年月をかけて作られた。尾瀬は東西6㎞・南北2㎞、東京ドーム約8,000個分の広さ。

特にこの湿原は、燧ヶ岳(ひうちがたけ)、至仏山(しぶつさん)、会津駒ヶ岳、田代山、平ヶ岳など、さまざまな山で囲まれている水流のど真ん中。それらを源流とする高層湿原。

その清き流れが水芭蕉を育てている。

清流が水芭蕉を育てる

川の流れに沿って水芭蕉が咲いている。

ワクワクしながら、水芭蕉に近づく

木道から降りてはいけない。残念だが、水芭蕉を守るため。

ワクワクしながら、水芭蕉に近づく

白い大きな花びらのような部分は、植物学的には花弁ではなく、葉が変形した苞(ほう)。(ホーニャン!)

②白い花を撮る時はホワイトバランス調整

カメラ、特に一眼レフカメラにはホワイトバランス機能がついている。状況に応じて設定することができる。天気が晴れ、曇り、雨、そして朝か夕方かなども光を調整できる。夕焼けなどもその機能を使うことで、美しい色を再現できる。

でも、面倒だったらオートに設定すればいい。
今のスマホは頭がいい。全てをスマホに任せれば光もピントもOK。しかもスマホは軽い。

白い花を撮る時はホワイトバランス

白い苞と黄色い花。陰影が深みを表現し、光が躍動感を演出。

並んで咲くのは家族だから

水芭蕉の白い部分が苞(仏炎苞)。水芭蕉の花は黄色い棒状の部分。その中におしべとめしべがある。そこから生まれる種が並んで流れて、自分の居場所に落ち着く。新しい家族として。

白い苞はまるで横浜にある帆船日本丸を思い出す。

並んで咲くのは家族だから。

主役は真ん中の水芭蕉。白を美しく撮るには陰影も必要。

「花びらは?」「ごめん、私は苞なの」

花は中心の黄色い円柱状の肉穂花序にあり、花びらの「びら」が肉眼では見えない。花びらは美しいという思い込みから、つい苞に心が奪われてしまう。

「花びらは?」
「ごめん、私は苞なの」
水芭蕉の会話が聞こえてきませんか?

花びらは? ごめん、私は苞なの

水芭蕉の黄色い部分、花びら4枚、めしべ1本、おしべが4本。

③水芭蕉を下から撮るので下半身を鍛える

尾瀬の水芭蕉は背が低く、木道の下で咲いていることが多いので、カメラを地面近くに持っていく必要がある。しかも、標高1,660mの尾瀬ヶ原まで歩いて行ける下半身を鍛えて、体の準備をしておく必要がある。

水芭蕉を下から撮るので下半身を鍛える

ハートフルな水芭蕉。「美しい思い出」「変わらぬ愛」
そんな花言葉にぜひ添えて欲しい一枚です。

自然を守る意義

尾瀬は誰が管理している?

東電HD。尾瀬国立公園は群馬県片品村、福島県檜枝岐村、新潟県魚沼市にまたがり、東電HDは全体の4割に当たる約1万6千ヘクタールを所有、管理している。

尾瀬は誰が管理している?

2,356mの燧ケ岳。山頂にオコジョに会うために登ったのだが、風が強く、オコジョを見つけることはできず、早々に退散。

尾瀬を守る人々

尾瀬国立公園

尾瀬を守った長蔵小屋の平野長蔵氏

2007年8月の尾瀬国立公園に指定されてから人間による破壊は激減した。しかし、近年、ニホンジカによる湿原や林内の食害や踏み荒らしも問題となっている。
湿原の美しさや、高山植物、湖沼などの自然環境は一度破壊してしまったら、元には戻らない。守るにはどうしたらいいか?
尾瀬に行く度に考えさせられる。

尾瀬ヶ原ダム計画を永住覚悟で守り続けた長蔵小屋の平野長蔵氏のように命を懸けて守った人を尊敬してやまない。

尾瀬を守った長蔵小屋の平野長蔵氏

尾瀬の歴史と未来

尾瀬の歴史

約数万年前に燧ケ岳が噴火して、只見川や沼尻川がせき止められて、尾瀬ヶ原と尾瀬沼が生まれたという説がある。
長い間、静かに眠ったように自然を営んでいた尾瀬。ところが人間、特に首都圏を賄う水量のために尾瀬を沈めて、ダムを作ろうという話が出た。国と東電が協力し、1919年にダム建設を着手。ところがもちろん反対派が出た。文部省と厚生省。そして、平野長蔵氏。彼が長蔵小屋に永住し、尾瀬を守ると宣言した。1966年、反対派の強い意見で尾瀬ヶ原のダム計画は延期。その後、1996年に計画中止と決定した。反対派の大勝利。

その後、東電HDは各自治体と尾瀬保護財団を設立。2007年には尾瀬国立公園として認定された。

尾瀬の未来

湿原の美しさ、高山植物、湖沼などの自然環境、そして学術的価値の高さ。尾瀬はこれからも守るべき価値ある存在。長い年月をかけて生まれたこの天空の湿原、日本最大の高層湿地帯だから。

湿原には、水芭蕉やニッコウキスゲ、ワタスゲなどの高山植物だけでなく、トンボや甲虫類も多様に生存している。未来にもこの大切な自然を残したい。

守ろうみんなで!

尾瀬を訪れる人々が足で踏み付けて、湿原や登山道周辺を荒らし、汚水等による水質や水生生物、植生の改変、靴底からの移入植物の進入など、生態系を破壊してしまう。
また近年、ニホンジカによる湿原や林内の食害や踏み荒らしも問題となっている。
これらの問題をどう解決するか? 
未来に尾瀬を残すために私たちが何をできるか?

平野長蔵氏の功績を高く評価し、日本全体で尾瀬を守ることが大切です。尾瀬の写真を撮りながら、そんなことを思った。

このブログは毎月1日と15日に更新。皆様の訪問を心からお待ちしてます。

尾瀬の魅力を知った後は、尾瀬の清流のお酒やドレッシング、尾瀬の天然水をご購入ください。必ずご満足頂けます。

尾瀬の雪どけ 純米大吟醸 桃色にごり 生酒


群馬 お土産 片品産えごまドレッシング


【ふるさと納税】尾瀬のおいしい水3ケース


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